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  • PR誌『評論』184号:木村礎さんの近世村落史研究へのこだわり

木村礎さんの近世村落史研究へのこだわり

青木 美智男

戦後日本の歴史学研究をリードしてこられた一人に、近世村落史研究の木村礎さんがいる。木村さんは、近世の村落とそこに暮らす農民の生活史に関する研究では、他の追随を許さない。 木村さんはそれほど村落史研究に生涯を賭け、こだわり続けた研究者だった。なぜなのだろうか。それは木村さんに直接教えを受け、その後師との距離をある程度おきつつ木村さんの研究過程を見続けてきた私には、頭から離れることのない関心事である。
私が、木村さんに出会ったのは、1958(昭和33)年4月、21歳の春である。重症の肺結核が癒えて明治大学文学部史学地理学科に入学し、新入生歓迎会に出席した時に、初めてあの端正な姿で、覇気に満ちた挨拶をされた木村さんの姿を忘れない。おそらく助教授に昇格したばかりで、研究や教育の上でも、やる気に満ちた時期だったからだろう。しかし私は木村さんがどんな研究者なのか、その時まったく分からなかった。
私は福島県内の城下町に育ち、人に勧められ明治大学に入った。中学・高校で、新憲法の平和と自由の大切さを教えられ、軍国主義の基礎になった封建的な因習を打破するのだなどと勝手に思い込んでいた。そんな私は、さっそく石母田正や松本新八郎などに挑戦したが、まったく歯が立たなかった。そんな時、この年5月に刊行されたばかりの木村礎編『日本封建社会研究史』(文雅堂書店)に出会った。初めて封建制研究の重要性を知り、木村礎という存在を身近に感じた。しかしまだ何で難解な古文書を解読したり、古文書調査するのか認識できなかった。つまり木村さんの研究そのものを全然理解できていなかったのである。
まもなく私の疑念は一掃される。それは同年七月刊行の木村礎編『封建村落 その成立から解体へ──神奈川県津久井郡』(同)を手にしたからである。これが私が初めて読み込んだ専門の研究書である。ここから、古文書解読の能力と古文書調査の大切さを思い知らされた。これこそ近世史研究者として身につけるべき重要な研究姿勢だと教えられた。
その後木村さんは、この研究姿勢を大学の定年まで41年にわたって貫かれた。調査を一年の休みもなく実施された。それはどんなテーマでも変わることのない手法だった。広範囲に現地を歩く。そして村の古文書を探し、整理し目録を作成して筆写する。こんなことの繰り返しが毎夏続いた。木村研究室の書棚には筆写された古文書の製本が何段にもわたって並んだ。
私は木村さんの没後、御夫人に、先生は合宿調査の費用はどうされたのですか、と質問をしたことがある。夫人は公的機関から依頼された調査以外は全部木村の負担ですと答えられた。その時、愕然とすると同時に、木村さんの村落史研究への情熱と、古文書調査に賭ける執念のすごさに感動を覚えた。そういえば合宿の宿舎が廃寺の本堂であったり、町や村の公民館など、風呂のないような粗末な施設ばかりだったことを思い出す。経済的に大変だったのだなあとしみじみ思う。
木村さんは、このことについては断片的ながら語られている。要約すれば次のようになろう。敗戦直後、日本の歴史学研究は大いなる反省に立って出発したが、近世史研究でいえば、戦前のマルクス主義歴史学の継承から基礎構造の研究が本格的に始まり、近世村落史への関心が高まった。しかしそれは、資本主義的生産様式形成の有無や、封建的生産関係の変質というテーマに終始した。次は何革命かを見通すことが研究の命題だから当然と言えば当然のことなのだが、木村さんには、そのためだけの村落史研究は、近世の村落という森全体を見ない研究だと見えた。その点では初期村落史研究も同様で、資本主義生産への前提である領主─小農民という純粋封建社会の形成の確認だけが主要なテーマになって、検地帳の分析ばかりが流行するという現象に違和感を持たれたに違いない。
木村さんは、島田次郎さんなど東京教育大学での仲間との研究会での議論を通して、封建社会の生産の担い手は農民であるとの確信を強くしていた。そして彼らの生産と生活の基盤である村落の歴史を解明することが何よりも重要な研究課題であると信じていた。
幸い村落には村人が書き残した古文書が存在しているではないか。その村人が書き残した文書を発掘し、村落の成立から解体までを忠実に再現して、新しい近世村落社会像を描き、近世史研究の重要なテーマにしてはと考えた。しかしそれはすべてが手探りで未知の領域である。木村さんは院生や学生たちと隊を組み神奈川県津久井郡の旧村々に入った。そして旧村を自分の足で歩いて村民の暮らしを実感させたのである。
その最初の成果が前述の『封建村落』である。木村さんは村人の生産や、村と村の関係など、村の歴史を描けたと確信し、この調査方法に確固たる自信を持ち、以後変えることがなかった。
その後の木村さんのお仕事は、近世社会に生まれた新田村落の分析から、農民の生産基盤である一枚一枚の田畑の存在状態を見て生産と暮らしのあり方を探究する村落景観史へ移り、そして生活史へと関心は深まる。またその間、封建支配される農民的な観点から幕藩領主政治への分析へと多様化してはいくが、いずれの場合も、村落をベースにし、現地へ入って古文書調査し、そこから発信する研究姿勢は変ることはなかった。だから木村さんは古文書を保存するための努力や、地方史研究への情熱が人一倍強く、その先頭に立って活動された。
そんな木村さんのお仕事が独創的か、といえばやや違うと思う。私は生前木村さんに、もっとも尊敬できる近世史研究者はどなたですかと尋ねたことがある。木村さんは即座に古島敏雄さんだと言われた。多分戦前の古島さんの農業史研究の成果に共感していたからであろう。中でも『日本封建農業史』(四海書房、1941年)や『信州中馬の研究』(伊藤書店、1944年)に触発されたことが伺える。お二人の近世農民や村落への思いが類似しているのはこのためだが、古島さんの地主制へ関心の強さに比してやや弱いのは、研究世代の差であろうか。
今年もまた暑い夏がやってきた。生前の木村さんなら、合宿調査の準備も終わり一安心しているころだろう。事前に今夏の調査目的を確認し研究史を読み込んで現地へ向かう。だから空振りがほとんどない。そして必ず共同研究の成果が公刊される。一見大胆そうに見えるが、きわめて細心で用意周到な研究者だったのである。
[あおき みちお/近世史家]