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  • PR誌『評論』183号:なぜ援助が行われるのか──古くて新しい問いを考える

なぜ援助が行われるのか──古くて新しい問いを考える

下村 恭民

戦後のきわめて早い時期から、日本の政治指導者や政策責任者が提示した日本再生構想の中には、アジア諸国への経済協力や援助が組み込まれていた。1953年秋の池田・ロバートソン会談で、日本側は、米国や世界銀行からの援助取り付けに全力をあげる一方で、東南アジアの経済開発に貢献したいという意欲を示し、その実現に向けた米国の協力を要請した。池田勇人は1952年に「われわれは心からアジア諸国の発展を援助すべきである」と記したが(『均衡財政』)、フィリピンと同程度の一人当たり所得水準でしかなかった当時の日本の指導層の多くが、アジア諸国への支援を強く志向していた事実、彼らの関心が必ずしも市場確保や資源開発にとどまらなかった事実は、改めて「なぜ援助が行われるのか」という主題の奥の深さを考えさせる。
同時に、「それぞれの国内に深刻な社会的・経済的問題を抱えているのに、援助国はなぜよその国を助けようとするのか」という疑問が、これまで必ずしも十分に掘り下げられなかったことに気づく。発展途上国への援助(政府開発援助、ODA)の「あるべき姿」や「援助の有効性」、あるいは国際援助潮流を論じた文献は数多いが、それに比べて、「なぜ援助が行われるのか」を取り扱った研究は決して豊富といえない。「何が彼らに援助という行動をとらせるのか」を注意深く観察すると、「国際社会での責務を果たすために、貧しい国々の貧しい人々を助ける」とか「自国に必要な資源を確保し、自国の商品やサービスを輸出するために援助を行う」という説明では、ごく部分的な回答にしかならないことが分かる。
『開発援助政策』を執筆するにあたり、このような問題意識に基づいて「なぜ援助が行われるのか」という古くて新しい問いを中心に据えることとした。長年にわたって援助の実務に関与してきた筆者の経験に基づいて、ともすればパターン化された形で理解されがちな援助という行動の、等身大の姿を描き出すことに努めた。
本書では、援助国に援助という行動をとらせる原動力となる二つの主要な『動因』(drive)」を検討した。第一は、政策決定者たちの持つ理念と動機であり、第二は、多くの利害関係者(ステイクホルダー)から政策決定者たちに対して行われる働きかけである。多様な利害関係者の存在は援助という領域の特徴の一つである。二つの動因が交錯する中で援助行動が形成され、援助政策の方向が決まると考えた。
援助草創期から数多くの政策決定者たちが発信したメッセージは、さまざまな形で記録され分析されてきたが、本書では、国際公益(人道主義、貧困緩和、平和構築など)を志向する利他的な動因と、国益(安全保障、良好な対外関係、輸出振興など)を追求する利己的な動因の二つが、一体化した複合体となって機能し、多くの政策決定者たちを動かしてきたことを見出した。たとえば平和構築は安全保障と、貧困緩和は貿易拡大と表裏一体となっていることが多い。
ただ、政策決定者たちの意思決定は、つねに途上国、先進国、自国内の多様な利害関係者からの影響に直面しており、利害関係者からのさまざまな働きかけが、援助政策の国際公益と国益の間の位置取りを左右する。本書の第二部では六つの有力な利害関係者に焦点を当て、事例を通じて、利害関係者の働きかけが援助政策に与える影響を検討した。具体的には、国際機関(OECDと世界銀行)、国際NGO(重債務貧困国の債務削減に取り組んだジュビリー2000)、先進国(日米経済摩擦における米国)、途上国(対日市場開放交渉におけるタイ)、援助国内の声(対中ODA批判における国内世論)などである。
本書を通じて、国際援助潮流が援助社会のコンセンサスや協調への動きを強め、同時に途上国の財政を管理する姿勢を強めている状況が確認された。援助国、国際機関、国際NGOなどの間で協調行動が広がり、「ドナー(援助の出し手)の論理の優越」を生んでいる現状への途上国側の不満が、中国の援助の台頭に対する好意的な受け止め(多くの問題点を認識しながらも)につながっていると考える。国際機関から大手NGOまで単一の視点が広がる中で、多様な視点から自由な政策論議を行う「公共空間」へのニーズが高まっている。
〔しもむら やすたみ/法政大学名誉教授〕