• TOP
  • PR誌『評論』
  • PR誌『評論』181号:歴史と現在の往還2 一点の資料からの構想力を──歴博「現代展示」の試み

歴史と現在の往還2 一点の資料からの構想力を──歴博「現代展示」の試み

安田 常雄

国立歴史民俗博物館(歴博)では、2010年3月、開館以来の懸案であった「現代展示」が常設としてオープンした。これで原始古代から現代まで、日本の歴史と文化を通史的に展示する課題が実現したことになる。私はもちろん展示の専門家などではないが、この展示経験を通して、歴史叙述のありかたにどのような問題を投げかけようとしたかについてその一端に触れてみることにしたい。
       *
歴博「現代展示」は、主に1930年代から、戦争と占領の時代をへて、1970年代までの高度経済成長の時代まで、人びとの生活史を軸に、それぞれの時代の歴史的意味を描き出すことを目的にしている。それは多くの人びとにとって激動の時代であり、そこには数知れぬ苦難とひとときの喜びなどが積み重なっているに違いない。そしてこの時代は体験しなかった若い世代にも、そうした人びとの固有の歴史的経験を通して、世界史的な現代という時代の深い意味を伝えてくれるはずだ。たとえばファシズムと戦争、東アジアの植民地問題、原爆投下と冷戦、高度成長と環境問題、情報メディアと大衆文化の問題など、現在の世界が直面しているあらゆる問題の起源がこの20世紀の歴史のなかに沈殿しているように思われる。
この「現代展示」は、主に四つの主要なテーマで構成している。第一は「戦争と平和」という主題。これは主に1931年の「満州事変」以後、45年の敗戦に至る戦争の時代であり、占領終結までを含めている。そこでは2006年夏に特別企画展示をおこなった「佐倉連隊にみる戦争の時代」を一つの基礎にして、佐倉地域だけでなく日本全国を射程に、さらには膨張する「大日本帝国」の各地域(朝鮮半島、中国、東南アジア及び南洋群島など)をも含んでこの主題を考えることをねらいとした。またそれは男性日本人兵士の歴史に限定されるものではなく、海外の諸地域の人びとや女性や子どもをも含んだ人びとの生活史を軸にした戦争経験の歴史の復元ということになる。主な資料としては、佐倉連隊の内務班実物模型、植民地との関連では台湾で徴兵令が施行された時の「武装台湾」のポスターや「創氏改名」の資料として朝鮮名が消され日本名に書きかえられた小学生の通信簿などが展示されている。
また今回の展示では、近代展示では実現しなかった日清日露戦争と1920年代の東アジア世界を加えて構成していることが特色の一つだろう。特に後者のコーナーでは、韓国併合記念絵ハガキや教科書にもかならず出てくる三一独立運動や五四運動、また柳宗悦や淺川巧などの人物のエピソードを通して、時代概況を伝えている。さらに今回の「現代展示」では隠れたテーマとして「人の移動」という観点が重視されている。これは20世紀という時代が、帝国の膨張とともに「人の移動」が活発になった時代であり、国民国家の壁がゆらいでいく時代だからである。今回の展示では、まず1920~30年代における中国・朝鮮・南洋群島との「人の移動」、次に敗戦前後の復員・引揚に象徴される「人の移動」、さらに列島規模で大量の「人の移動」が起った高度成長の時代にも力点をおくことにした。たとえば集団就職や「追われゆく坑夫たち」(上野英信)など。また「人の移動」のテーマについては、それとの関連で「戦後の生活革命」の水俣病問題のコーナーで、日本窒素の朝鮮の興南工場の展示を行っている。なぜなら「人の移動」という主題は、国民国家(帝国)の問題であるとともに資本(蓄積)の境界の問題として浮上するからである。これは戦後の「大衆文化」のコーナーで映像資料を使って扱った高度成長期の横浜寿町の下層労働者の問題とも密接に関わっているのだ。
第二は「占領」の時代という主題。現在「占領」はほとんど意識に上らない主題かも知れないが、実は日本の戦後という時代のはじまりの構造というテーマであることはいうまでもない。
それは日本国憲法や民主主義に象徴される戦後改革の時代であり、同時に「アメリカ」という現実(食糧援助から朝鮮戦争をへて日米安保まで)はその後の日本の歩みに決定的な影響を与え続けている。ここでは「焼跡闇市」の実物模型や衣食住の資料を使って戦後直後の庶民生活の展示を行っている。
第三は高度成長期の「生活革命」という主題。展示物としては、福島県田子倉ダムで水没した山村の模型と、昭和三七年の東京北区赤羽台団地の模型が対照的におかれている。これはエネルギー革命と技術革新、「三種の神器」(テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)に象徴される都市型生活様式の浸透とその対極にある農山漁村の衰退という構造変化を表現し、また水俣病問題の実物展示を入れることによって、高度成長と環境問題との深刻な亀裂を描こうとしている。これは歴史叙述の問題としては、記述の両義性ということであり、両義性とは単なる多様性ではなく、両極を基軸においた歴史における運動のダイナミズムという問題である。文化や人間像そのものの変容という視点を入れた高度成長研究はまだまだこれからなのだ。
そして第四は「大衆文化を通して見る戦後日本」という主題。ここでは前記三つの時代の時系列的展示を前提に、あらためて戦後日本とはどのような時代像として構成できるかの試みであり、その焦点のひとつは大衆文化のポリティックスにある。言い換えれば生活や文化は不可避的にポリティックスを内蔵するのであり、それは私たちを拘束するとともに、解放の萌芽ともなるからである。そこでは東宝映画「浮雲」(1955)のセット、水爆実験を象徴するゴジラの立像、1968年を中心とする世界を追ったニュース映像、昭和30年代から昭和50年代にわたるテレビCM、さらに子どもの雑誌、おもちゃなどが展示され、同時代の気分をくぐりながらその時代像を表現している。
       *
展示担当者側のねらいと意図の概略は以上の通りだが、それがどの程度うまく伝えられているかは自ずから別の問題である。すでに3月のオープン以後、さまざまな好意的な感想や厳しい批判もよせられ、今後も増えていくだろう。現段階でそれらに応答することはできないが、ここでは歴史叙述と歴史展示の接点について総括的に二つの点だけに触れてみたい。
その第一は「歴史の複雑さ」という視点である。これはかつてジョン・W・ダワーが、E・H・ノーマンから継承した視点であり、最近の『昭和』(みすず書房)でもあらためて強調されている。またC・グラックが「複雑な戦後」を基本視点として設定していることはよく知られている。なぜいま、あらためて「歴史の複雑さ」なのか。それはおそらく「大きな物語」で語りきれない歴史の細部が多元的に浮上し、それらの矛盾を含んだ要因の相互連関を解きほぐす方法が模索されているからにちがいない。かつてE・H・ノーマンは歴史家の仕事は写真屋よりはむしろ画家のそれに似ているとし、「歴史で大切なのは全体の輪郭と肝要な細部である」と書いていた(「クリオの顔」)。一本の樹のイメージを伝えるために、葉を数え、枝の長さを計り、これを引き抜いて目方を量っても仕方がないのである。今後の歴史研究が細部の実証の精密さに向うことは避けがたい流れだが、問題は「肝要な細部」というところにあり、「全体の輪郭」のなかでのその細部のアクチュアリティが問われていくはずである。これは歴史展示の抱える問題と共振している。
第二の視点はこの点と密接に関わる。現在、歴史叙述は本や論文、コミックから、映画やドキュメンタリー、ニュース映像をふくめ、きわめて多様なメディアに広がっている。さらには聞書きやオーラル・ヒストリーにも及んでいる。今後こうした領域の研究が増えていくだろう。
そのなかで歴史叙述としての展示の特徴の一つは、一点の実物資料のもつアクチュアリティという点にあるはずである。たとえば、現在、展示している「ハングルで書かれた坑内案内版」(上野朱氏所蔵)の資料は、その一点の資料にむき合うことによって、暗い坑内で働く朝鮮人労働者の姿を想起させ、なぜ彼らが、どのような状況のなかで、そこにやって来たのかを考える構想力の発火点になっていく潜勢力をもっている。
また最後の締めにおいた「島クトゥバで語る戦世」の沖縄戦の語り(ビデオ映像)は、字幕をあえて付けない形で公開されている。それは字幕をつけると字幕だけ読んでしまうからであり、それは作者である比嘉豊光氏の意図ではないからであった。つまり沖縄戦を「島クトゥバ」で語ることの意味とは、軍民混在の地上戦のなかで、「戦争のなかの生活」と「生活のなかの戦争」の接点に言葉がおかれていることであり、それを語るおじいやおばあたちの、表情、身ぶり、あるいは情景の細部と直接むきあうことの重要性が提起されているからである。そしてここでも一点の語りという資料は、私たちに歴史の構想力という問いを投げかけているはずである。
[やすだ つねお/国立歴史民俗博物館教授・総合研究大学院大学教授]