神保町の窓から(抄)

▼ある水曜日、呑み屋に寄らず家に帰った。缶ビールを開けテレビをつける。池上彰さんの「学べるニュース」が出てきた。この番組、知ってる心算でいたことが勘違いであったことを指摘されるので、「心算」の怖さを知らされる。今夜は安保がテーマだ。ゲストによばれている若い娘が「アンポってなんですか」と訊く。初めてアンポという言葉を発音したのかもしれない。それがテーマなのだから池上さんは解説をはじめる。一九六〇年の安保闘争の写真が出てくる。高校生が国会周辺でデモをしている。池上さん「あの頃は高校生にも政治意識があった。友だちと誘い合って来たのでしょう。東京周辺の大学生の大半は国会周辺に集まってきたのです」と。
 なぜ60年安保はあれだけ盛り上がったのか。
 1950年に朝鮮戦争が起こり、アメリカは極東の共産化を極度に恐れた。朝鮮戦争は今も終わっていない。停戦中なのだ。極東の安全を守るために米軍は日本に駐留しつづけることを骨子とする第一次安保条約が51年に結ばれ、60年はその改訂の年だった。その頃のわれわれは、まだ繋がっていた。連帯ということの大切さを占領軍はしっかりと教えてくれた。時の首相、岸信介は、米国の権限の大きかった旧条約をきらい、日米対等をめざしたが、いまも沖縄その他に過酷な犠牲を強いる基地の使用を許すことになる。真の独立国を希求した国民の願いと闘いは、権力の前に押しつぶされてしまった。この条約も効力は10年間だった。10年はすぐ経った。70年安保闘争。これは数年前から始まっていた新左翼の街頭闘争、日大、東大に象徴される全共闘の学園闘争など、長過ぎた助走に疲れ果て、安保が自動延長される時期には息が切れてしまった。安保はすんなりと延長された。日米安保はあたりまえの日常となった。ただ、この条約の第10条には微妙なことが謳われている。「もっとも、この条約が10年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後1年で終了する」となっている。協議とか合意ではない。通告で済むのだ。アメリカは言い出さないだろうが、他方の国、日本はいつ「通告」することができるのだろうか。
 ついで、池上さんの話は「左翼・右翼」のテーマに移っていった。この場面でも「サヨクって何ですか」の質問で始まった。省略する。
 ただ、この番組を見ながら社業を思った。われわれはインテリゲンチャ指向の青年に向けて本を作っているが、果たして「読者」たる青年たちの姿を知っているのだろうか。青年のために、というが、読める本を作る工夫をしているだろうか、ということ。「アンポってなあに」という人たちに、わが社が用意したのは国際公共政策叢書の『安全保障政策』(山本武彦著)と『アクセス安全保障論』(山本吉宜・河野勝編)の2冊だ。著者と読者をつなぐのが出版社の仕事というが、つなげられるかと社内で話したら、子どものおもちゃや絵本に子どもの発達との関係があるように「専門書だっておなじだ、読めるまで待つしかないんだ」と強気の発言が出てきた。そうだろうけど、それまで会社は待てるのかい?心細くなってきた。だからといって、「青年」という希望に唾を吐いたら、未来という光を失ってしまう。「オレたちも君たちもどう生きるか」と対話をつづけるしかない。本が売れないのは流通システムやケータイ青少年のせいではない。読みたくなる本を作っていないわれわれの側にも一方的な独善がありはしないか、と考え込む。
▼専門書とか研究書といわれるものを拵えていると、必然のように倉庫の収容能力が気になってくる。学術書には、拵えたらすぐ売ってしまえ、という経営的欲求を超えて、「次世代の研究者のためにとっておけ」という義務に似たものがその欲求を抑制する。東京・一ツ橋の大出版社に本を注文したことがある。3年程前にできた本だったが、電話の終わるころ「そんな古い本、あるわけないだろう」と呟かれたことがあった。わが身が20年も30年も前にできた本を倉庫に詰めているから、3年や5年は新刊に近い感覚でいたのだ。
 だが、これからの研究者のために、とか言って取り置く本は経営にどれだけ貢献しているのだろうか。わが社の実例で調べてみた。12ヵ月(1年)の総売上額に対しての比率。2000年以前のもの(120点)の販売額はわずか四%、2000年から2007年のもの(640点)が15.6%であった。残りが2008年以降に作ったものだ。直近3年間のもの(147点)が70%を占める。新刊が出なければ行き詰まる構図だ。また1年で5万円以上の売り上げをたてるものが256点あった。「も」なのか「しか」なのか判断に苦しむ。初版のまま20年以上売れているものもあるが、新刊本に負んぶし、抱っこされながら旧刊を死守しようというのが、悲しいかなわが社の現実である。    (吟)