神保町の窓から(抄)

▼前号で本欄の執筆を休んだら、とうとう「窓」も閉まったか、と思われた方も多かったようで、メールやハガキで「大丈夫か」と心配いただいた。ごめんなさい。電話をかけてきてくれた影書房の松本さんは、私の返答を聞いて小言を言いだした。休載の理由が気に入らなかったのだ。恥ずかしくて、その訳は言えない。気を取り直して、またお目汚しの拙文を続けます。
▼十代から親しくしていた友人が、4月の初め、桜花に腕をとられ、逝ってしまった。正月明け、「間もなく命脈尽きるから顔を見せろ」なんて、内容とは逆に、明るい声で呼び出しをかけてきた。冗談ではないなと直感したので、九段下の名菓「有平糖」を土産に飛んでいった。「いろいろ世話になったな」「いんや」「葬式にはなにか言ってくれ」「そんな話は、早すぎないか」「ちがう、今だから言えるんだ。先になったら話せない」。私は日を措かず、衰弱のすすむ彼と会った。「食いたいものはないか」「あるっ、荷風も好んだ大黒屋のうなぎが食いたい」「会いたいヒトはいないか」「いない、もう誰にも会いたくない。こんな姿になっていることは誰にも云うな」。研究者を志した彼が、その道を自らはずれ、機械屋をやったり印刷所を営むことになったいきさつ、青春の悔恨、妻との北陸の旅……長い物語であった。もう、黙りな、その方が今という瞬間を共有できる。私は彼に、そう頼んだ。過去は思い出すためにだけあるのでもないし、また忘れ去るためにだけあるのでもない。黙ってください。黙った後、2人での写真を所望された。妻がシャッターを押した。「女房と一杯飲ってきな」、彼を病院に残して、我々は彼の行きつけの居酒屋へ行った。やたらに酔いの回る焼酎だった。君は志なかばで倒れたかに見えるが、来し方を見渡すとき、やはり大きな安らぎがあるように思える。悔いることはない。残された妻は、君と所帯を持ったことを、よかったと断言した。それでいい。残された者がベソベソしていては供養にならん。何と云っても、いつ思い出しても、明治大学・木村礎さんのもとでの文書調査のことだ。幾晩にもわたり君と議論した。議論が本質を突いていたかどうかは定かでないが、あの目の輝きはもう取り戻すことはできない。もっと話がしたかった、酒も飲んでいたかった。が、目の前には白い箱があるだけだ。帰ろ帰ろよ もう誰もいない。
▼また決算月がやってきた。毎年のことながら、あまり歓迎できる月ではない。出版界はあの社もこの社も決算数字を下げて、渋面をつくっている。悲鳴をあげている人もいるが、やめたいと言っている人は見あたらない。本来、出版は苦しいときほど愉しいはずなのだ。が、そんな気楽なことばかり言っていられない内容もある。
 決算で最も辛いのは、「未払金」の項目中「未払い印税」を見つめる時だ。かつては、作った本の数全部に印税が発生した。売れなくても印税が発生したのだ。現在は売上げ印税方式で売れなかった本には印税はかからないようになっている。それでも未払いが貯まっていく。「いつになったら払ってくれるんだ」と催促されることもある。また、「私の本は売れてるはずだ、テキストにつかっているから売れた数も大体はわかっているんだ」と証拠を示されることもある。「お前さんには損をかけてない」と念を押しているわけだ。
 その通りです。売れる本、売れない本、そのどちらとも等距離でつきあっていかなければなりません。売れない本は売れる本の力で生き延びているのです。われわれには、どちらも大事な本です。売れない本は悪い本ですか。売れる本は必ずいい本ですか。悩むところです。 
 10年前も、その10年前も言っていた。専門書が売れなくなることに並行して、専門書は貧乏な出版社、貧しい著者にはだせなくなるか、相当な厳しさが要求されるだろう、と悲しい予感のなかに生きてきた。事態は好転しなかったが、出版を続けることができた。やめずにいられた訳は、難しいことではない。われわれが貧苦に堪えながらも出版に対する責任を果たそうとしてきたこと、その姿勢に多くの研究者が協力や助力を惜しまず提供し続けてくれたからだ、と思っている。この両者は正面から向き合い支え合ってきたのだ。出版社は未知の著者のために、また、すでに出版の成った本を頒布しつづけるために「出版社」という機能を維持しなければならない。そのことを無言のうちに理解してくれたのだ。著者は客ではない。同志なのだ。著者と読者との仲立ちこそわれわれの仕事なのだ、と改めて心する。印税については、払わないと言った事はありませんが、景気よく払うとも言ってません。何だ、結局、払えないのじゃないか。出版はやはり資本主義には似合わない。
▼今号より開始した「シリーズ 歴史と現在の往還」は如何。大門正克先生をトップに、現在をどのようにとらえ、歴史の課題と結びつけるのかを思索します。次は安田常雄先生、リレー形式で参ります。