金澤史男さんの著作刊行にあたって

持田信樹

この度、日本経済評論社から故金澤史男さんの著作である『近代日本地方財政史研究』と『福祉国家と政府間関係』がご家族の同意を得て、刊行された。編集は親しい研究仲間によって行われたが、その一人として2冊の学術書を遺稿集として刊行するに至った経緯を明らかにしたい。
生前、金澤さんはいくつかの単著の出版を計画されていた。2003年のメモ書きによると少なくとも3冊あり、うち2冊は書名まで明記されている。『分権・自治の歴史的文脈』と『地方財政論』がそれである。前者は青木書店のシリーズ「日本近代からの問い」の1冊として企画されたもので、原稿6割程度が完成していた。こちらは、同社から刊行される『自治と分権の歴史的文脈』の出発点になった。
一方、後者すなわち『地方財政論』は学生向けのテキストとして企図されたものであり、既出論文による構成案が見つかった。ご家族の同意を得て、私たちは懸命に原稿を探したが、見つからなかった。1999年に書かれたメモによると、2000年の夏休みを利用して執筆する計画を練っていたが、「これだけやっても残る不良債務」(2003年5月26日メモ)のリストにこの企画は入っている。金澤さんは降りかかってくる学内外の重責と闘っていた。
私たちは『地方財政論』の刊行をいったん断念し、金澤さんの研究の特色を代表する論文を精選して刊行することに目標を切替えた。その想いが天に通じたのか、膨大な遺品の中から単著の構成らしき、二つのメモが偶然にも発見された。いずれもA4判1枚に書かれたものであるが、日付はない。しかし、「地方財政の歴史的文脈」と「日本の福祉国家財政」と題目がつけられたメモには、章立てと既出論文との対応関係がはっきりと書かれていた。この小さなメモの発見が、2冊の学術書を出版することを決定的なものとした。
なぜならば、私たちは遺稿集に納めるべき論文として、当然のことのように「両税移譲論展開過程の研究」に代表されるような重厚な地方財政史研究を念頭に置いていたからである。『近代日本地方財政史研究』と『福祉国家と政府間関係』の2冊で金澤さんの研究領域全体をカヴァーしながら、核心をなすと思われる論文を精選するという方針はこうして固まった。この時は、まるで金澤さんと「相談」しながら企画を練ったかのような錯覚に囚われた。
ところで、複数の出版社から3冊もの遺稿集を刊行する大きな事業を行う際に、注意しなければならないのは論文の重複の問題であろう。青木書店から刊行される『自治と分権の歴史的文脈』は原稿6割程度が完成していたので、この点は心配しなかった。ところが、『近代日本地方財政史研究』(日本経済評論社)の核心をなす2つの論文(第1章と第2章)が、ほぼそのままの形で金澤さんが生前に脱稿していた青木原稿に挿入されていることが途中でわかり、調整が不可避となった。
おそらく既存の論文を使い、それを全体として編集し直して1冊にすることを金澤さんは考えていたのだろう。日本経済評論社と青木書店そして6人の編集委員の間で忌憚のない意見を出し合い、この点の調整に時間を費やした。その結果、『自治と分権の歴史的文脈』では一般読者を対象に書かれた珠玉の論文を一覧する一方、日本経済評論社から刊行される『近代日本地方財政史研究』や『福祉国家と政府間関係』には研究史に残る重厚な学術論文を精選するという事業の最終的なゴールが見えてきた。
長年、金澤さんに業績発表の場を提供してこられた日本経済評論社が、本格的な研究書の出版の労を執ってくださることは本当に心強かった。基金へのご芳志をよびかけに応じて、ご親族、大学や行政の関係者、学会関係者、友人、教え子などから予想を超える基金が寄せられた。金澤さんがいかに多くの方々に敬愛されていたかを示すものであり、一縷の涙が頬を伝った。
2冊の遺稿集の意義は、読者自らが金澤さんの研究上の軌跡を辿り、彼の思考を追体験し、そこから自身の地方財政や福祉国家についての理解を深化させる手がかりを提供することにあると考えている。そのように考える理由はつぎの通りである。
金澤さんは、学生時代から現在まで一貫して財政・財政学と日本経済ないし日本資本主義発達史の研究に従事し、高い水準の実証研究を次々と発表してきた。このうち財政研究は、東大経済学部の林健久教授のセミナーで、資本主義発達史は東大社会科学研究所の大石嘉一郎教授(故人)のもとで研鑽を積んだ。このふたつの流れの合流点に彼は独自の研究領域を開拓し、確立した。それが日本地方財政史研究である。
それまでの地方財政研究が法律・制度の解説や理念的な主張に偏ったものが多かった。これに対して、彼は資本主義の世界史的な発展のあり方と、その中におかれた日本資本主義の特殊な位置と、その特殊な位置にある日本資本主義の明治以来の発達の諸段階を確定し、それが日本の地方財政をどう規定したかと問題を立て、これを解明してきた。このようなスケールの大きさが、彼の業績を凡百の類書から際立たせている理由であろう。
金澤さんが世に問うた数々の実証研究を、土台からしっかりと支えているのが透徹した資料解析と緻密な実態調査であることはいうまでもない。『近代日本地方財政史研究』に納められた諸論稿には、臨時財政経済調査会をはじめとして、第一次大戦後にできた多くの大型審議会の議事録が縦横無尽に活用され、分析の鋭いメスが加えられている。執筆当時はマイクロフィルムもコピーもなく、金澤さんは夏休みを利用して国立公文書館に通い、ひたすら鉛筆で議事録をノートに写すという作業に没頭していたという。同書に収められた諸論稿に独特の臨場感が漂っているのは、彼が資料の山と格闘を行っていたからである。
つぎに『福祉国家と政府間関係』である(今井勝人教授の「解説」を参照)。周知のように、福祉国家研究には大きく福祉国家継続論と福祉国家解体論(=支援国家論)とがある。金澤さんの福祉国家財政の再編を「ゆらぎ」ととらえ、日本の福祉国家システムは「弱体化」しつつあるという見方は、一見すると福祉国家解体を主張しているように見える。しかし、必ずしもそうではない。それは彼が「公共性の再生」の必要性を論じていることに関係する。すなわち、金澤さんは大衆民主主義の成熟度から「公共性の再生」が可能であり、そこに「20世紀型福祉国家と対比される新たな段階の福祉国家」を展望していたと思われるからである。
政府間関係研究における金澤さんの研究の意義は、次の点にあると思われる。今後の日本社会は分権社会を目指すべきであるという点で彼の考えは多くの論者と一致しているが、分権社会の建設といってもナショナル・ミニマムの維持は必要であり、そのためには地方交付税制度が重要な機能を果たすべきだと強く主張している点は他の多くの論者と大きく異なっている。
このナショナル・ミニマムという考え方や地方交付税制度の重要性の強調は、今後の社会保障での現物給付を重視する考え方とあいまって、市町村合併に関する金澤さんの批判的な見方につながっているといえる。また、地方分権化を論じるときに「制度論的アプローチ」をとらざるをえないという金澤さんの主張もナショナル・ミニマムという考え方や地方交付税制度の重要性の強調と表裏の関係にある。
以上のような意義に加えて、金澤さんには歴史研究を手放さずに現状を批判的に検討する一貫した視点があり、それがまた彼の研究の大きな特徴であった。『近代日本地方財政史研究』と『福祉国家と政府間関係』の両書を読み比べると、歴史研究は現在の位置を確認するためのものという彼の一貫した姿勢が浮かび上がる。四方を見渡せる頂きからものを眺めれば、過去はもちろん現在も見える。
私が金澤さんと初めて出会ったのは、二人が18歳のときである。爾来、40年近い歳月を「同じ空気を吸い、同じ釜の飯を食べた」だけに、このような文章を書くことになったのは無念としかいいようがない。もういないと思うと、名状しがたい寂しさを感じる。いや、正直にいえば事実として受止めることができない。しかし、不帰の客となったあとでも2冊の本をひもとけば、たちまち彼は現前する。もちろん、あの天性ともいうべきリーダーシップ、あの名伯楽ぶり、あの周囲への肌理の細かい配慮にお目にかかることはできない。しかし、あの高邁な見識、あの透徹した資料解析、あの不撓不屈の批判的精神、あの現在と歴史の自在な対比はすべて残っている。私たちはいつでも一人の気高い稀有の研究者に接して、自由に対話することができる。彼の研究業績は不滅である。しかし「完成体を構成する部品としておよそ8割」(林健久教授)の状態で遺されている。彼の教えを受けた次世代の研究者に期待したい。   [もちだ のぶき/東京大学大学院経済学研究科・教授]