なぜ「沖縄史を読み解く」のか

来間泰男

このたび『稲作の起源・伝来と“海上の道”』を刊行した。これは、「沖縄史を読み解く」シリーズの第1巻と位置づけている。内容は、人類の起源と日本人の起源、稲作の起源と日本への伝来、そのさい沖縄を通って伝わったという「海上の道」論の検討、そして旧石器時代─縄文時代─弥生時代と流れる日本史と沖縄史を「読み解いた」ものである。つまり、私自身の研究というのではなく、多くの先行者の研究成果を「読み解いた」ものである。
このようなことに着手したのは、沖縄史研究の現状に残っている疑問を少しずつ解いていって、沖縄史をそこに孤立した歴史としてではなく、日本・朝鮮・中国・東南アジア諸国との関係性の中で捉えること、それを叙述の方法においても見えるようにすること、そして体系的な沖縄史を築きたいと考えたからである。
したがって、これはいわば第1巻であって、引き続き第2巻(按司の発生とグスクの建造)、第3巻(琉球王国の成立)、第4巻(薩摩藩支配下の琉球王国)、第5巻(琉球処分前後)と続けたいと構想している。近代と現代は、すでにそれなりに書いてきたので、ここまでもってこられたら、最終目標である「通史」を書くことができるだろう。
私は農業経済学を専攻して、主として沖縄農業の調査・研究に従ってきた者である。それはもちろん沖縄経済の調査・研究と一体的に取り組まれたが、その中で行き着いたのは、沖縄史の諸問題であった。沖縄と日本との「文化」の違いは、自然的・地理的環境の違いとともに、その上で展開された「歴史」の違いに基づくものである。
しかしながら、歴史家の仕事の多くは「経済的観点」に弱く、そのことに不満をもってきた。通説的な理解にもメスを入れる必要を感じた。私も本年3月末に大学を去り、いつまでも専門分野にこだわることはないし、範囲を広げて取り組んでみたいと思うようになった。また、叙述の方法も、学術論文風にではなく、ひたすら分かりやすくということを心掛けようと考えた。
この仕事に着手してみて、結果的には自らの予想を裏切り、自らの考えを訂正せねばならないことに少なからず遭遇した。以下に、そのいくつかを記してみたい。
その一つは、佐々木高明さんの著述に代表される「照葉樹林文化論」である。これはいかにも魅力的な議論であり、私自身「惚れ込んできた」としていいものであった。しかし、その議論を精査し、また池橋宏さんによるそれへの批判に接して、その評価は逆転した。「照葉樹林文化論」は、照葉樹林地域にみられる共通の文化要素を選び出したが、そのクライマックスを日本では縄文時代に重ね、稲作の起源地を「雲南・アッサム」だと見誤るなど、根底から否定されるものであった。
その二つ目は、佐藤洋一郎さんの議論である。彼は稲作の起源地は「長江流域」だとして「照葉樹林文化論」を批判したが、それを「温帯ジャポニカ」に限り、「インディカ」と「熱帯ジャポニカ」の起源は別とした。しかしながらそのことを合理的に説明できず、混迷している。この点でも池橋宏さんの議論が注目されるが、佐藤さんはその批判にまともに答えることなく、「無視」しているようである。また、DNA分析を売物にして著述を重ねているが、論証にそのDNA分析が使われることがほとんどない。
問題は、佐藤洋一郎さんの議論が、佐々木高明さんや、考古学者の多くに採用されていることである。イネについては、もっとイネ学者の議論に耳を傾けてほしいと思う。
今回の本は、その意味で、沖縄史に縁遠い方にも読んでいただきたいと思っている。
学者は自らの専門分野にとどまって、別の専門の人たちが「おかしな」議論をしていても、我関せずの立場をとる者が多い。学術的な研究成果の発表の仕組みにも問題があろう。われわれ「一般人」は、分野を超えた交流を望んでいる。そして、その結果を広く「広報」してほしいと思っている。私の仕事は、その一つの試みでもある。
沖縄史もそうだが、理論によって現実・歴史を見るのではなく、それを「導きの糸」としながらも、現実・実態から考えることが求められている。
[くりま やすお/沖縄国際大学名誉教授]