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  • PR誌『評論』178号:ネットワーク型研究で「差異の政治」を問い直す

ネットワーク型研究で「差異の政治」を問い直す

加藤哲郎

近く刊行される「政治を問い直す」全2巻は、私たちのネットワーク型共同研究の成果である。
第1巻は、加藤哲郎・小野一・田中ひかる・堀江孝司編『国民国家の境界』、第2巻は、加藤哲郎・今井晋哉・神山伸弘編『差異のデモクラシー』と題し、共同研究を進めてきた中堅・若手の力作が収録される。専門的な内容を教科書にも使えるよう、初学者にも読んでもらえる構成と叙述に苦労したが、類書にはない多くの問題提起が含まれている。
それは三年前に始まった。日本学術振興会科学研究費補助金で「移動と情報ネットワークの政治学──『帝国』と越境するマルチチュード」を基盤研究(B)で申請したところ、幸い高い評価を得てほぼ全額が認められ、各地で海外調査を行いつつ、「政治と国家の境界」に共同で取り組むことになった。
この研究は、ネットワークのハブである私にとっては、長年進めてきた現代国家論研究と、近年取り組んでいる情報政治研究の、結節点に位置する。経済のグローバル化と共に進行する国内政治の国際政治化、国際政治の地球政治化を、定住を前提とした近代国民国家型政治の再編、モノ・カネ・ヒトが国境を越える「帝国」型グローバル政治の形成とみなし、そのもとで進行する民衆の移動、とりわけ越境・脱国家化の動きに注目した。「国籍」「国民」「市民」「市民社会」等の既存の概念がどのような変容をこうむり、どのような新しい課題を生み出すか、どのような新しい枠組みと発想・方法・概念を必要とするかを、実証的な国際比較と歴史的・思想的系譜に即して考察したものである。
こうしたアプローチのアイディアは、もともと三つの理論系列に示唆を受けた。第一は、政治学・国際政治学の21世紀的展開、とりわけデーヴィッド・ヘルドらのデモクラシーとグローバル・ガバナンスの理論である。そこでは一国内部でも地球的規模でも「差異の承認・解放」が課題になり、マイノリティの処遇が「国際人権レジーム」として国際機関でも問題にされる。第2に、「移動の社会学」「移動の政治学」の流れである。ジョン・アーリ『場所を消費する』『社会を越える社会学──移動・環境・シチズンシップ』(共に法政大学出版局)の問題提起は、「社会」を都市中心の定住空間と前提する近代市民社会論への、したがって既存の政治学・社会学への挑戦で、移住による身体的移動に商品・貨幣や映像・メディアを介した感覚的移動、国外就労や観光旅行による情動の歴史的変容を加えると、「定住者=市民」を前提にした政治のあり方は、大きく攪乱される。第三に、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが『〈帝国〉』(以文社)と『マルチチュード』(日本放送出版協会)で主張している、地球的政治経済秩序の世界史的構造である。彼らの提起した「生政治」や「帝国」「マルチチュード」の概念を念頭において、欧米・日本の国籍・移民問題や、社会運動における「国際主義」の歴史的展開を問い直した。
その結果、私たちの共同研究が見出したのは、国民国家は動揺し、政治の境界も流動化しているが、国籍や人種・民族問題の重要性は失われていない。移動や越境の具体的あり方を規定するのは、それぞれの地域や国家のデモクラシーのあり方であり、その歴史的軌跡とそれを支える社会運動、情報・世論・メディア・コミュニケーションの変容こそ、21世紀の「差異の政治」を特徴づけていることだった。
この研究は、私自身が、欧米ばかりでなくインドや中国の友人たちの協力をあおぎ、メキシコでは客員講義をしながら完成された。その間にリーマン・ショックによる世界金融・経済恐慌も経験した。執筆には、国外ではアメリカ、イタリア、中国在住の若手が、国内では北海道から沖縄まで各地に住む研究者たちが加わった。研究そのものがネットワーク型であり、それぞれの執筆者の差異と個性が発揮できるよう心がけた。
「政治を問い直す」は、「政治」を共通に問題としつつも、政治学とも社会学とも、哲学、歴史学とも、一義的に規定できない。それは、歴史と現実そのものの多様性の表現であり、「帝国」と「マルチチュード」の差異を孕んだ可塑的実像への挑戦だからである。
[かとう てつろう/一橋大学名誉教授]