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  • PR誌『評論』177号:「静かなる民衆革命」と民衆史研究(前) 

「静かなる民衆革命」と民衆史研究(前) 

安在邦夫

一 「1968年」への関心
小熊英二氏の超巨編『1968八』上・下巻(新曜社)が、発刊間もないにも関わらず版を重ねていることに象徴されるように、近年、1960年代、特にその後半期「1968年」への関心が高い。確かにこの時期、全共闘運動から連合赤軍・浅間山荘事件へ、またフェミニズムからウーマンリブへと若者や女性の運動が開花・展開した。世界史的に見ても、青年層の反乱や市民層のベトナム反戦運動の高揚があり、同時期が歴史的に振り返られて然るべきであるという認識に異存はない。しかし、「歴史的転換点『68年』ブーム。新しい世界の模索 今こそ」(平沢剛『朝日新聞』2009年8月19日付夕刊)という指摘を目にすると、「1968年」を「院生」と「会社員」(小中生相手の進学塾)という二足の草鞋を履いて過ごした私には、いささか違和感を覚えるものがある。
大学に行けば、なるほど「既存の政治、思想、文化の在り方を否定し、新しい世界を模索」(平沢前掲論考)する激しい運動が見られた。しかし、「明治百年祭」の賛否を問うものでもあった同運動には、反対派から無関心・支持層まで多様であり、全共闘系の動きも四分五裂の状況であった。そしてなによりも会社に戻ればそうした喧噪さは見られず、「受験」に奔走する人びとのごく日常的な生活があった。この状況を目の当たりにして、国民から遊離した学生運動の基盤の脆弱さと危うさを感じていたのである。そして予想した通り、運動は自壊し、学生は無関心から無気力となり、学生の多くは自己の世界へ沈潜するようになった。この間元号法制化が進み、中曽根首相をして「静かなる国家改革」とまでいわしめたように、「国家」が国民の日常生活に大きく踏み込む状況が加速した。世界史的には天安門事件、東欧諸国・ソ連の消滅から東西冷戦構造の崩壊へと激動の嵐が吹き荒れる事態が生じた。「大変な時代」が到来したのである。

二 静かなる民衆革命
天安門事件が起こる前年の秋、私は南開大学での集中講義のため天津で1カ月余を過ごした。短期間ではあったが、その折の大学院生との懇談の経験から、民主化運動としての天安門事件が生じたことに関しては、さほど驚きを感じなかった。しかし相次ぐ東欧諸国の崩壊とソ連の消滅という事態は、全く想像を超えたものであり、今は無知を恥じるべきことであるが、当時は正直なところただ驚愕するのみであった。そして指摘されるように、その事態は資本主義の勝利・アメリカの一人勝ちという思念を生み、概してその諸施策を周辺諸国は「正義」と認識し、「ブッシュのイラク戦争」にまで加担した。では、その最たる追随者たる日本において、国民の生活はどのようになったのか。
周知のように新自由主義政策は、貧困を増大させ格差社会を造成した。橋本健二著『「格差」の戦後史』(河出ブックス)は、高度経済成長により1億総中流時代に入り、80年代から格差が拡大し、2000年代は非正規雇用が急速に拡大し新しい階級社会が形成されたことを明らかにしている。格差拡大が短期的要因によるものでないことは氏の指摘する通りと思われるが、「小泉改革」がこの状況を一層顕著にしたことは疑いない。農業の疲弊も然りである。現実に耐え得ず未来に希望を失った国民の自殺者がこのところ毎年3万余を数えるなど、社会の病理現象は極限に達している。2007(平成19)年夏の参議院議員選挙、および昨夏(2009年)の総選挙における野党(当時)の勝利は、まさにこのような現実への民衆の怒りの爆発である。「1968年」の運動は、一見激しく思えたものの実相は底の浅い表層的なものであったのに対し、今次の状況には、視界には映らなかったものの、そこには地殻変動ともいうべき極めて激しい民衆の意識の反乱が投影されていた。まさに「静かなる民衆革命」である。
・革命が起こったことを国民は気づいていない”(宮台真司・福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』帯文言 幻冬舎新書、2009年)のではなく、民衆が政権交代=革命を起こしたのである。 (次号に続く)       [あんざいくにお/早稲田大学文学部教授]