大学入試偏差値の虚妄

中川 辰洋

大学入試シーズンが近づくと「内申点オール3程度の大学には行くなよ」と喝破した中学時代の理科の教師を思い出すと某大手予備校の知人に話したところ大層受けた。

「さすがうまいこと言いますね。偏差値に換算すれば50程度です。でもそれはわれわれ業者の実施する模擬試験の結果から導いた合格基準偏差値つまり『入試』偏差値ではなく、これを参考に志望校を受験して合格し実際にお金を払って入学した諸君の数値──『入学』偏差値と思います」。

知人によると、両者の差は私立大学の場合、5から10だそうな。曰く、「釈迦に説法でしょうけれど、私大受験の合格者は募集定員の2倍前後にのぼります。いま仮に志願倍率が5倍であれば、実質はその半分程度です。私大受験者は国公立大や他の私大の併願者が多く、ために大学経営者は少なからぬ受験生が他校に流れることを前提に合格者をはじき出します。合格者が募集定員と同数であれば間違いなく欠員が生じますので。大学、受験生双方にとっての保険です。ちなみに、第一志望の国公立大や私大に合格した受験生は滑り止めを袖にしますが、そのほとんどは高得点合格者です」。

そうであれば、入試シーズンに発表される私大各校の志願倍率、「入試」偏差値は額面どおりに受け取れない。その好例が私大最難関の慶大医学部の偏差値72.5で、東大・京大・医科歯科大などの併願者は合格しても入学を辞退するから、実質偏差値は70台に及ばない。また医学部を除く慶大や早大・上智・理大の各学部に加え、中大法学部や老舗の医科大でも同60台前半つまり内申点オール4程度、後続の中堅集団GMARCHなどはそれぞれ48から55、6、オール3ほどだ。

わが中学時代の教員が「内申点オール三程度」にこだわった理由を理解できるようになったのはずうっとのちのことだった。義務教育をぎりぎりパスしてのち多額のカネを投じて高校、大学に進学して一体なんになろう。昨今、母国語の読み書きができない、百分比が分からないだけでなく、小学校から英語を学ぶご時勢ながら中学校で挫折する生徒を量産している。初期ビートルズの楽曲の一節──Please please me like I please you という中二レベルの英文さえ解せない連中が大学に6割程巣くっているのはその一例だ。

そんな連中が入試で相応の点数をとる(とれる)のはなぜか、何か八百長でもやっているのでは──と訝る向きもあろうかと推察する。選択問題の多用が一半の理由だ。ただし選択問題とはいえ、天才マンガ家・赤塚不二夫によるバカ田大学の秀才バカポンのパパを唸らせた〝超〟の付く難問は、受験生のレベルに配慮して、敬遠されがちだ。赤塚の曰く、〈鎌倉幕府をつくったのはつぎのどれか──①源頼朝 ②浅田飴 ③カップラーメン〉

選択問題はすべて同じ数字、文字、記号を解答欄に記しても、三択であれば正答確率は3割、四択でも2割5分。しかも、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式の穴埋め問題もある。要するに、これらは受験生に点をとらせるべく出題される代物と考えてよい。そのうえ受験生の得点は各自の素点の多少ではなく、これを指数化して評価するので、大方の素点が2、30点でも、はじき出される指数が低いとは限らない。

だから筆者のゼミ生だった自称〝埼玉の三流私立高校出〟や学級崩壊していつも乱痴気騒ぎ、学校を〝遊戯施設〟化すべく多大な力を尽くした連中がいても不思議ではない。もちろん現役不合格でも一、二浪すれば合格可能だが、三浪、時に半四浪(はんしろう)(〝半〟とは昼間部への編入を目標に当座夜間部に入学する半浪人)の類も散見された。

筆者の知る限り、かれらの多くは難関の早慶上理のどれかを受験しており、なかに「1点足りず慶大不合格」と語った西麻布女子がいた。気持ちは分かるが、内申点オール4超の難関校とオール3程度の中堅校との間には偏差値の開きが10ポイント前後あることを思えば、ほとんどが世に言う「記念受験」で、合格は夢のまた夢。中堅校の「入試」偏差値60台前半は難関校合格者の置き土産と知るべきだ。

勉学意欲も問題意識もなく大学受験にしがみつくことで空費される時間や労力、保護者の蓄えはいかほどだろうか。『古今集』に「わが恋は空(むな)しき空にみちぬらし思ひやれども行く方もなし」という読人知らずの一首がある。〝わが恋〟を〝受験〟に読み替えるのも一考とは筆者の戯言だったけれど、かの大手予備校の御仁はこう返した。

「されどわが業界の懐はみちみちぬ」。

[なかがわ たつひろ/著述業]