市民のための行政の実現に向けて

真山 達志

一口に行政といっても、マスコミを通じてくらいしか情報が入ってこない中央府省庁と、市民(住民)に身近な市町村行政とではかなり違いがあるが、世間での行政の評判は総じてよくない。行政に対するイメージとしては、権威的、権力的、杓子定規、非能率というようなネガティブなものが支配的だ。何らかの問題があるのなら、改善するのは当然であるから、長年にわたって「行政改革」が重要かつ喫緊の課題とされてきた。「行政改革を進める」と言うと一般の受けがよいので、多くの政治家や政党が行政改革を主要政策として掲げることが多い。

いくら評判がよくないとはいえ、行政は人々の日常生活から社会や経済の安定や発展に至るまで、社会の諸側面に深く関わっており、無視することはできないし、今ある行政をまったく別物に置き換えることも難しい。それゆえ、今ある行政をベースによりよい行政を作り上げるというアプローチを採らざるを得ない。そこで、次のような課題が生まれる。まず、そもそも行政はどのような機能・役割を担っているのか、世の中での行政に対するネガティブな評価が生じているのはなぜなのかというような現状分析が必要である。次に、望ましい行政の姿とはどのようなものかを明らかにしなければならい。そして、望ましい行政を実現するために、現在の行政の何をどのように変えるのかなどを明らかにすることが重要になる。行政は日本全国津々浦々、全ての人々を対象にして仕事をしているから、これらの課題は一部の政治家に任せておくのではなく、国民的議論が必要になる。しかし、現実の社会では、政治に対しては不信や無関心が、行政を担う公務員に対しては漠然とした反感が広まってはいるが、科学的、合理的な検討や議論をしようという基盤が整っていないように見受けられる。このままでは、正解か間違いかもわからないまま、流れと勢いだけで行政が「改革」されてしまうおそれがある。

このような由々しき状況に対して、行政を研究対象としてきた行政学は何らかの貢献をしているのだろうか。行政学は、行政の実態を把握・理解できているのか、望ましい行政の姿を描けているのか、理想の行政を実現しうる理論や手法を提案できているのか、と問いかけると、いずれの問いに対しても「否」と答えざるを得ない。行政学界の末席を汚す程度の筆者ではあるが、この状況には忸怩たる思いがある。三月末に上梓した『行政は誰のためにあるのか──行政学の課題を探る』は、このような思いから、行政学はこれまで行政の何をどのように研究してきたのかを振り返り、今後、どのような研究を展開すべきなのかを探ろうとするものである。

もっとも、これからの行政学の姿を描くことはもとより、これまでの行政学を体系的に整理して解説することは筆者の能力をはるかに超える難題である。そこで、本書の基本的な役割として、行政と行政学に少しでも多くの人に関心を持ってもらうようにすること、とりわけ行政学を学ばなければならない政治学、行政学、政策学系の学部学生の皆さんに、少しくらいは行政学に興味関心を持ってもらうことを想定している。したがって、学術的な議論を紹介したり、理論を追究したりするようなことはほとんど行っていない。行政学が社会とどのように関わり、何を明らかにしようとしたのかを検討することを通じて、行政の抱える問題点とその背景や原因を考えるヒントを示すことを心がけた。

具体的に取り上げている項目は、能率、組織、管理、官僚制、意思決定、行政責任、公共政策など、一般的な行政学の教科書と共通するものが大半であるが、単にこれまで研究内容や理論の紹介をするのではなく、これらの研究成果から現代行政の問題点をどこまで解明できるのかを検討していることが特徴である。さらに、将来のあるべき行政を明らかにしてそれを実現するために行政学が何らかの貢献をするには、何が必要かを検討していることも特徴である。そのため、危機管理研究と政策実施研究に焦点を合わせて行政研究の課題と可能性を検討している。これらは行政学の教科書ではあまり見かけない編成であろう。

これらを通じて、本書は、市民の安心・安全・快適を確保し、公平・公正な社会を実現するために、行政学が何をどのように研究していくべきかを描こうとしているのである。

[まやま たつし/同志社大学教授]