中国は資源国か?

萩原 充

ある研究会でのことである。「資源小国の自給戦略」と題して中国の石油産業史に関する研究報告をした私に対し、会場から多くの反論が巻き起こった。「地大物博」とみなす中国観からは、「資源小国」というフレーズは受け入れ難かったのであろう。確かに石油に限るならば、1960年代以降、「工業は大慶に学べ」というスローガンにみるように、開発が急ピッチで進められ、石油輸出国の一角を占めた時期もあった。中国が貧油国であるはずはないという主張はそうした経緯に引きずられた面もあろう。

しかし、資源国か否かは相対的な概念である。たとえ国内に相当の資源があるにせよ、その国の人口・経済規模が大きく国内消費が多ければ、資源国としての国際的立場は弱くなる。資源の埋蔵条件も考慮すべきである。経済の中心地から離れていれば、資源の価値はそれだけ小さくなる。中国は世界六位の石油産出国であるが、油田の多くは西北・東北などの内陸諸省に分布しており、沿岸地域に輸送するには多大なコストを要する。一方、急速な工業化に伴い世界最大の石油輸入国になった。まさに、現代の中国は、稀少な資源と土地を求めて人々がひしめき合っている、そんなイメージが当てはまるだろう。

こうした見地から中国の石油産業を跡付けるならば、単なる石油開発の歴史ではない、他国にはない諸相がみえてくる。そのいくつかをあげてみよう。

まず、灯油への転換に長期間を要した点である。一般的に、灯油は在来の植物油にかわって消費が増加した後、電灯の普及により減っていく。この過程は中国も同じであるが、問題はこの過程がきわめて緩慢に進行した点である。植物油から灯油への転換までに一世紀を要しており、さらに電灯が全国に普及するのはつい最近のことである。その最大の要因は地域的な差による。沿岸地域と内陸では普及時期が大きく異なる。しかし、沿岸地域に限っても、灯油の輸入が開始された後も在来の植物油が需要されており、電灯が普及しても植物油・灯油の使用は続いていた。このように、中国では近代的産品というべき灯油・電灯が普及してもなお、在来品としての植物油が根強く市場に出回っており、住民は市況に応じていずれかを選択していた。

次に、雑多な精製品が出現したことである。輸入石油が何らかの理由で高騰したり、輸入自体が途絶えた際に、様々な精製品が市場に出回った。たとえば、高率関税や銀安により灯油の価格が高くなると、安価な軽油から灯油成分を抽出して販売する業者があらわれた。また、日中戦争により石油輸入が困難になると、原料の桐油から人造ガソリンを精製するとか、甘蔗からアルコールを精製し、ガソリンの代用品とする事業が勃興した。さらに、灯油にガソリンを混入して販売する、あるいはガソリンを灯油と偽って販売する(昔は灯油よりガソリンのほうが安かった)といった悪徳商人も出現した。中国の石油市場は、こうした多様な精製品が熾烈な価格競争を展開する世界であった。

一方、国内の油田開発は遅れた。油田の存在は古くから知られていたが、その生産は湧き出た石油を近隣住民が汲み取り、地元の需要を満たす程度であった。油田に投資する国内資本はなく、アメリカ・ロシア(ソ連)・日本などの諸外国も開発に乗り出すものの、いずれも中途で手を引いている。その理由は埋蔵分布の不利である。仮に生産されたにせよ、沿岸に運ぶ輸送費を含めると採算がとれなかったからである。

そのため、油田開発が開始される時期は日中戦争のことである。抗戦拠点を奥地に置いたことで、内陸の油田が逆に地の利を得ることになったのである。しかし、その生産量は戦時需要を満たすには至らず、実際の供給量は輸送時の損耗もあってわずかであった。当時の中国軍は主に人造石油か代用品(アルコール)を用いて日本と戦っていたのである。

こうした状況は中華人民共和国成立後も変わっていない。石油禁輸による供給不足のなかで、国内の油田開発が本格化するが、相変わらず人造石油の生産量が天然石油を上回っていた。さらに大躍進政策(1958年~)に際しては、全国に建設された土法煉炉により、褐炭を原料とする人造石油が生産されたが、その大半は数年間で閉鎖されている。

こうしてみると、中国石油産業とは、国内資源の不足を多様な精製品によって補ってきた歴史に尽きるといえる。そうだとすると、今さらその過程を俯瞰する意味はどこにあるのだろうか?

そのひとつは、昨今の中国製品の競争力を解く鍵である。現在の中国は、いわゆる中間技術による低価格を武器に、アジア・アフリカの開発途上国に輸出攻勢をかけている。そうした産品を生産している主体は、わずかな資本で参入と撤退を繰り返す多数の業者である。そうした状況を「大衆資本主義」(丸川知雄)と呼ぶならば、それは単に現代に現れた現象ではなく、過去に源泉があるのかもしれない。

もうひとつは、中国の対外政策、とりわけ習近平の唱える「一帯一路」構想を読み解く視点である。内陸の資源を生かすには、沿岸地域とは逆の西方、すなわちEU諸国に向けるか、ロシアの資源と結びつけるという選択肢もある。中国がこれらの国々と外交的に接近する理由の一端がここにある。他方、不足する石油は海外から調達するほかなく、短距離で国内に運ぶにはミャンマーからのパイプラインも必要となる。今日、東南アジアから中東・アフリカに至る中国の勢力拡大が顕著であるが、そこに石油利権が大きく関わっていることはいうまでもない。さらに、日中関係に目を向けると、1980年代から現代にかけて、日本に石油を輸出し鉄鋼・機械を輸入するという相互補完関係から、石油資源をめぐって争う関係へと転換した。両国間の関係悪化もこの点が関わっているだろう。

再生可能エネルギーの利用が広まるなかで、エネルギーとしての石油の価値が低下しつつある昨今であるが、現代中国を読み解くうえで、今後しばらくは石油が重要なキーワードであり続けるであろう。

[はぎわら みつる/釧路公立大学名誉教授]