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  • PR誌『評論』226号:持続可能性から考える農業、農村、食

持続可能性から考える農業、農村、食

廣政 幸生

東京オリンピック二〇二〇(2021年)の開催時に、前回大会である1964年はどのような時代であったかが話題となることが多々あった。1964年は高度経済成長の真っただ中である。当時の東京の庶民の生活の様子がどのようなものであったか、手元にある1964年1月の「サザエさん」の四コマ漫画を見ると、結は、農家の人が、土地を売って運転手付きの金持ちになっている。オリンピック関連の各種工事で、世田谷の農地が売れたものと推測される。起承では、波平さんが自家製の寒肥を庭木にやっている。東京オリンピック当時、世田谷ではまだ汲み取りであり、しかも農家の人が汲みにきていたことが分かる。

オリンピック前に、東海道新幹線、首都高速道路は開通したが、モータリゼーションはまだ先である。インフラ整備も比較の仕方によるが、それほどでもない。ただ、廃墟の終戦時に比べれば、経済成長の成果は大いに実感できたともいえる。世の中の楽観的な雰囲気は、経済発展の果実に多くの希望が持てた時代であり、そこで、多くの人々が描いた未来、21世紀は、「鉄腕アトム」に代表される輝ける時代の様相であった。科学とか技術が何でも為してくれるという雰囲気があったのである。その後、高度経済成長のピークといわれる1970年の大阪万博開催時では、未来はバラ色ではない。1964年にはそれほど顕在化していなかった公害問題は深刻となり、1970年には、いわゆる公害国会が開かれ、経済発展の負の側面が露わになった。輝ける未来に暗雲が生じたのである。

それから、30年を経て、20世紀から21世紀になるとき、20世紀はどのような時代であったのかが回顧され、「科学技術の世紀」だといわれた。一方で、新しい世紀はどのような時代となるかが話題となり、「環境の世紀」といわれた。環境問題、とりわけ地球環境問題が背景にあるのはいうまでもない。その後、20年を経た今日、深刻さは一層増し、より危機感は強くなり、「環境の世紀」を実感している。

今日、「環境の世紀」を象徴するのは、SDGsという言葉の流行である、Sustainable Development Goalsの略であって、日本語では、「持続可能な開発目標」となっていることが多い。SDGsは、2030年に持続可能な社会になるために17の目標を示して実行しようとするものである。よく目にする17の目標はアイコンと分かりやすいキャッチコピーで示されている。しかしながら、17の目標を眺めると、甚だ包括、総花的であって、意義は何となく分かるが、目指すものが分かり難い。ましてやその下位にあるより具体的な169のターゲットが何なのかを知る人はまれであろう。エスディジーズと唱えるだけではなく、Sustainable Developmentの意味することを知り、何をすべきかを考えることが大事である。

よく知られているように、Sustainable Developmentは1987年、国連「環境と開発に関する世界委員会」の報告書“Our Common Future(我ら共有の未来)”に初めて登場し、概念も記されている。日本語訳では「将来の世代がそのニーズを満たす可能性を損なうことなく、現在のニーズを満たすような開発」(生源寺眞一訳)とされており、持続可能性を論じるとき、必ず引用される文言、概念である。原著のこの部分はわずか3行であるが、報告書は300頁を超え、後世に伝わるのはごくわずかであることが分かる。Sustainable Developmentの日本語訳についても「持続可能」な発展ではなく「維持可能」な発展が適切であるという見解がある。経済学者の泰斗、都留重人は「この発想は、客体である環境条件の維持可能性を条件としていて、主体である人間社会の成長持続性条件を含意するものではないから、日本語でこれを「持続可能な発展」と邦訳したのでは正確を期することができない。」(都留重人(2006)『市場には心がない』岩波書店)とし、経済学者、宮本憲一も賛同している。また、Developmentについてもdevelopには自動詞の「発展する」と他動詞の「開発する」の意味があるため、環境破壊を連想させる「開発」より「発展」を用いることも多い。全く、日本語のニュアンスが難しいことを実感させられる。

先のサザエさんの漫画に戻ろう。農家の人が非農家である磯野家の糞尿を汲み取りに来ているのは、化学肥料がまだ普及していないからである。このことだけでも日本農業は未だ伝統的農法が大勢だったと分かる。戦後農政のエポックである「農業基本法」が施行されて間もないし、農産物の貿易自由化はまだほとんど進展がない。食管制度の下で、生産者米価、消費者米価が決められ、コメの消費は減り始めたばかりである。今日、農産物の価格支持政策はなく、完全貿易自由化への行程を示したTPPを受け入れている状況から見れば、まさに隔世の感がある。

2022年11月15日に、世界の人口は80億人を超えたといわれる。1970年の人口は37億人であった。半世紀で約2倍に増えている。人口と食料生産の関係は、マルサス以来の人類の懸念事項であるが、世界の農業は増加した人口を養うだけの生産増を成してきた。その要因は農地の外延化と農法の転換にあるため、食料生産と環境には深い関係がある。今世紀半ばには、世界人口は100億人に達することを顧みれば、「環境の世紀」は「食料の世紀」でもある。

今回、「持続可能性と環境・食・農」を編著で上梓した。明治大学食料環境政策学科の専任教員全員によって執筆されている。令和の「環境の世紀」・「食料の世紀」において、「持続可能性」や「持続可能な発展」が外せない時代のキーワードであるならば、農業・農村・食を改めて問い直す必要があるという問題意識を発端とし、初学者を対象にしたテキストとして企画された。初学者とは農業・農村・食に関心を持ち、社会科学の視点から学びたいと考えている学生等である。本書が対象とする農業・農村・食は時代の動きに鋭敏であるが故に、時宜に適ったテキストが初学者に必要になる。テキストは時代に対峙しながら対象を解説しなければならないが、底流にある学問的な考え方も同時に伝えなければならない。持続可能性を軸として、農業・農村・食の多面な様相についてそれぞれの専門分野が持つ課題を説明し、それを論じているが、当然、多岐にわたるので、環境、食料、農業・農村の三部構成とした。当学科の名称は「環境の世紀」・「食料の世紀」の時代に相応しいが、今回、さらに、時代に相応しいテキストを作ることができたと思っている。

[ひろまさ ゆきお/明治大学教授]