ウクライナでの戦争と新・南北問題

勝俣 誠

2月23日、ロシア軍が米国の予告通りウクライナ領土に侵攻して以来、西側ではウクライナ支援に立った主戦論が支配的に思える。NATO加盟と全領土保全を棚上げにして即時停戦交渉する姿勢を見せていたゲレンスキー政権はいつのまにか、全領土奪回の勇ましい主戦論に傾き、バイデン政権はプーチン政権の弱体化をウクライナ支援の目標として打ち出し始めた。錯綜する情報戦を超えて、何をもって戦争の根拠を見つけるのか、悶々とする中でよぎったのが、17世紀のパスカルの一節であった。「川一つで仕切られるバカげた正義! ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では過ちとなる」という時空を超えて通用する「正義」や「真理」の普遍性に対する懐疑である。

ただこのウクライナ危機で確証できることは、先に手を出したプーチン政権は国際法と国連憲章を明白に違反したことであり、ウクライナ軍備支援を強化してきたバイデン政権は自国軍隊を直接戦わさせずにプーチン政権を追い込むことに当面成功していることである。ウクライナもロシアも東方正教会だ。ロシア正教会の首脳はこの侵攻を祝福したとのことである。キリスト教の隣人愛はどこにいったのか。

こうしたウクライナ政府の自衛、プーチン政権の訴えてきた自国の安全・安心確保そしてバイデン政権の選択的非民主主義国に対する民主主義擁護という三つ巴の武力対立を即時停戦交渉に持ち込み、これ以上犠牲者を増やさないという非戦論の立場からこの戦争の二つの読み方を示唆したい。

一つは今回のウクライナでの戦争の性格は米国による中国封じ込み戦略も含めて、米国主導の新冷戦という形をとりだしていることである。冷戦とは超大国同士が直接の武力衝突という熱戦を避けて、勢力の均衡は自国領土外の代理戦争によって維持される状態とするならば、プーチン政権に対する経済制裁の強化、戦争犯罪の国際法廷での追及といった21世紀型不戦と人道の正義の法的履行を訴えるだけでこのヨーロッパでの戦争を即時止めることが実際にできるのであろうか。ベルリンでの壁建設で東西分断が可視化された翌年の1962年、ケネディ政権は米国の目前に浮かぶキューバ島でのソ連(旧ロシア)による核ミサイル基地建設を察知する。米国軍部は核による開戦論を提示するがケネディ大統領はソ連との土壇場取引で、基地撤去に持ち込む。親米独裁政権を倒し、さらには世界秩序を人民の正義の武力で改編しようとソ連の応援を期待したカリスマ的リーダーのフィデル・カストロは梯子を外された状態になり、以降、両国では気まずい関係が続いた。この現代史のパラレルで見えてくるのはウクライナ危機における映像化・可視化しにくい、地域固有の集合的記憶である。相異なる記憶が対立すれば二つの正義と二つの真理が生まれることになり、東西対立の基本構造となる。

もうひとつの視点はこのヨーロッパでの戦争を傍観するしかないが、経済制裁や輸送路分断で食料や燃料価格の高騰によるマイナスの余波だけは確実に受ける途上国「南」の諸国の視点である。国連加盟193国中圧倒的多数を占める「南」諸国は超大国の同意が不可欠な安全保障理事会では無力であるが、総会では自国の利害を一国一票で表明できる。ウクライナ危機に関してこれら「南」は富裕国の「北」とは必ずしも同じ判断基準を優先していない。このことを気づかせた出来事は今年3月2日の緊急国連総会でのロシア非難決議である。日本では圧倒的多数の141か国が賛同し、民主主義諸国の勝利として報道されたが、非戦論から注目すべきは棄権35か国中アフリカ17か国があったことである。従来、これらの新興独立国は旧宗主国のフランスや、米国への忖度的行動が顕著であったが、今回は異なった。またアジアでもインドネシアのジョコ大統領は経済制裁で人々を苦しめるだけで、双方の歩み寄りでウインウインの関係を実現すべきと述べた(『日本経済新聞』三月一二日)。マレーシアのマハティール元首相もNATO加盟国の対ウクライナ兵器供与を拡大すればロシアを一層追いつめることになり、より大きな戦争になりかねないと警告する(『日本経済新聞』5月31日)。

東西関係に翻弄されたくないアジア・アフリカ諸国は1955年バンドン会議を開催し平和共存原則を打ち立て、その「南」の動きから「非同盟運運動」が生まれた。新冷戦時代に軍拡よりも貧困・疾病と地球温暖化対策を優先する「非同盟・中立」に立った21世紀型の南北関係の模索が現実性を持つ所以である。

[かつまた まこと/明治学院大学名誉教授]