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ワールド・トレード・センターの思い出

中川 辰洋

「“Banking also means risk taking” といえば、ご理解いただけるだろうか。われわれ投資銀行家は、risk-takerだ。ここがお国の方々とは違う。それに、日米円ドル委員会報告(1984年)で謳われた、円の国際化に不可欠の円の商人たることを嫌気しているしね。日本勢はわれわれにとって唸るほど金のあるお客さん(クライアント)で、同業者(バンカー)じゃない」

午前の業務訪問が終わって、管理職向けカンティーンでランチを摂っていた折、筆者の相手をしてくれた行員氏が答えて言った。30年ほど前、マンハッタン島のワールド・トレード・センター(WTC)に事務所を置く某米大手銀行の訪問時のことだ。同氏のご高説は特段サプライズではなかったものの、メニューサンプルの脇に鎮座ましますカロリー・プレートには仰天した。肥満とは罪びとの業と見付けたり!

さすがUSA、日本とは別世界と感心した。だが、後日訪問した老舗投資銀行のファースト・ボストンは、クレディ・スイス銀行に最終的に吸収されるの報を受けてんやわんや、われわれの相手どころではなかった。洋の東西を問わず、企業消滅には悲劇が欠かせないと見た。

米銀のお得意連が本領を発揮したのは、2008年の国際金融危機の渦中であった。われらがメガバンクは、手負いの欧米の大手金融機関に総額数千億円規模の〝救済〟を買って出た。もちろん、欧米勢には邦銀がすべてではなかった。中東や中国・シンガポールのSWF(政府系投資ファンド)も進んで助け舟を出したからだ。

両の手に余る札束のお蔭をもって、欧米勢は九死に一生を得たが、話はここまで。これを機に、SWFとの紐帯を強化したものもあれば、将来性のない東京市場に見切りをつけ香港移転のために用立てるものもあった。かれらが当てにしたのは、リスクを取って国際金融市場で手広く仕事をしなかったがゆえに深手を負わなかった邦銀の唸るほどある金だった。見方を変えて言えば、邦銀が国際水準に達しているのは資金量だけ、けだし欧米勢はこれを利用して再生を目指す料簡だった。

そんなこと、みんな百も承知ではなかったか! と思いきや、どっこいそうではなかった。これを解くカギが、筆者の愛読書の一つ筒井康隆著『欠陥大百科』(1970年)の「イラストレーター」の項にある。筒井の曰く、「人物しか描けないくせにプロのイラストレーターでございますという顔をしている連中を、ゴマンと知っている。つまり日本では、人物しか描けない奴でも〔プロと〕認められてしまう」

そう言う筒井は、「アメリカでは、それじゃ通らない」という赤羽喜一なる御仁の言葉を紹介している。つまり、「何でも描けなきゃプロとして認められない。その代わり待遇は〔日本よりも〕いいよ」。ふたりの台詞、「イラストレーター」を「バンカー」に代えて読めば、国際金融危機の顚末を理解できる。

1980年代来、国際化を謳う会社に応えて、国際人とやらを養成する学校が随分増えたが、卒業してすぐには使いものはならない。実社会で修業しないとものにならない。ところが、この国の実社会がその場でないから始末に困る。大方の企業の「国際化」は看板でしかなかった。

一方、就職を志望する方は、学業習得以後の勉強が大変とは考えもしない。往年の人気バラエティー「パンチDEデート」の名文句「一目会ったその日から恋の花咲くこともある」に肖って、入社したその日から一人前の態。

思えば、かれらは入学したその日からいっぱしの学生気取りだった。筆者の先の職場の経験では、どんなそこつ者でも経済書を2、3冊読めば経済通、小説を五冊も読めば文学通と目される。

だから、「若い連中にいえることは、なんでも勉強してやろうという気がない」という赤羽氏のお説に筆者も同感だ。前の職場では、四年間に4、50冊読む連中は程度がいい方だが、世の中には500冊、いや1000冊を読破する若者がまれじゃないとは思い及ばない。そんな連中がご同類と手を携えてイラスト業界ならぬ金融業界に行くのだから世話はない。

2001年9月11日、ムスリムを騙るテロリストの〝カミカゼ〟攻撃で、WTCの崩れ落ちるニュース画像がループでTV受像機から映し出されるのを観て、しばらく動きがとれなかった。ややあって筆者の脳裡をよぎったのは、われわれの相手をしてくれた銀行家たちであった。三十余年も前のこと、名前も顔も忘れたが、WTCの一室で邦銀の企業イメージを決定づけたかの御仁の言葉だけは、鮮明に憶えている。

[なかがわ たつひろ/著述業]