戦争と民主主義の国際政治学

宮脇 昇

学生の研究は流行に敏感である。近年は、米中対立をテーマとする学生が増えてきた。「再び」冷戦の時代になったと考え、米ソ冷戦と米中冷戦を果敢に比較する学生もいる。著者のように冷戦を経験した世代のほうが、冷戦を知らない今世紀生まれの世代に比べて、現在を説明する際に冷戦という用語の利用(援用)に慎重であることに気づく。そこには、かつての米ソ冷戦の原因が複雑であり、鉄板のように冷たく堅い「構造」と核戦争の恐怖で人々を支配したことを思い出したくない心理も働く。同時に、ゴルバチョフという一人の指導者の意思を契機として短期間に溶解したという理解に対する違和感と気まずさがある。

なぜ冷戦は終わったのか。そして冷戦は構造だったのか、それとも虚構だったのか。そこに冷戦を一般化しづらかった意識の罠がある。もちろん冷戦が冷戦である限り、戦争でも平和でもないという意味で、もともと曖昧なのである。

冷戦が終わって間もない1993年、民主主義国間では戦争がおきにくいとする「民主的平和」がラセットによって単著として公刊された(邦訳として鴨武彦訳『パクス・デモクラティア』東大出版会、1996年)。同書が世に問われた1990年代は、冷戦終焉を契機としてアメリカのブッシュ(父)政権とクリントン政権の多国間主義に恵まれ、数多くの国際合意が実を結んだ「制度化の10年」であった。同時に東欧革命以降、各地で民主化も進んだ。大戦争の時代は永遠に去ったとさえ言われた。しかしその後、民主化の潮流は明らかに後退した。いずれ第三次世界大戦が起きてしまうのだろうか。ここに戦争と民主主義の関係を問い直す時機が再来したといえよう。

100年前、第一次世界大戦が終わり戦間期を迎えたころ、第一次世界大戦を日本では「欧州大戦」と呼んだ。むろん当時すでに、2度目の大戦が勃発すると予想した識者もいた。それでは冷戦が終わったころ、次の冷戦が来ると誰が考えたであろうか。

2010年代後半からの米露・米中対立を何と呼ぶべきか。米露・米中の対立は、かつての冷戦とは異なる面を多くもちつつも、新たな冷戦に入ったと見るべきであると著者は考え、それを第二次冷戦と呼ぶ。第二次冷戦と1989年に終わった冷戦の間の約25年は、「冷戦間期」となる(1989年までの冷戦は「第一次冷戦」と呼ぶべきこととなるが、本書では敢えて単に「冷戦」とした)。中国は現在の状況を「冷戦」と呼ぶことを批判する。しかしそれは、かつて「冷戦」という造語と用法に対するソ連の批判的姿勢と全く同じなのである。

ラセットの命題に戻ろう。冷戦間期に民主的平和は妥当性を高めたと思われた。しかし第二次冷戦となった後、大戦は未だ起きていない。冷戦に勝利したかつての西側では、一度も集団的自衛権の行使がなされぬままNATOが東方に拡大したのと同様、日本も正式な戦争を一度も経ずして日米同盟を質的に強化してきた。同盟による平和は、民主的平和と同様に大きな意味をもつ。同盟間の戦争可能性は前提とされるが、同盟内の戦争はおきにくい。逆に同盟が脆弱な場合や同盟相手がいない場合には戦争可能性は高まる。現在の中露間の戦略的パートナーシップは同盟には至っておらず、米中の核抑止は未だ非対称である。世界は、アメリカ一極から二極への移行の過渡期にある(本書第Ⅱ部)。それが世界を次第に安定させ、同時に恐怖の下の平和という居心地の悪さを再び与える。世界は戦争の深淵の暗闇をのぞいている。

しかし政治体制の観点からは逆の結論も導けよう。ラセットは代議制民主主義以外を非民主主義として括ったが、軍政や専制国家と、人民の意思が反映される人民民主主義(共産主義)国家とは質的に異なる。現実主義者のモーゲンソーもかつて、ソ連を人民の意思が反映される国家として考えていた。冷戦が大戦にならなかった原因は、同盟の充実、核抑止に加え、米ソ双方とも国民・人民の意思を(少なくとも形式的に)反映する制度を根幹とする政治体制であったことによる。著者は試論的に、民主的平和論において人民民主主義や「主権民主主義」を広義の民主主義の範疇に含めて第二次冷戦の世界を再考する。ロシアや中国も適例となる(本書第Ⅳ部)。その意味で現在の世界は、大戦がおきにくい状況にある。

世界は20世紀後半の冷戦とは少し違った、一般名詞としての冷戦の渦中にある。本書が時代の理解の一助となれば幸いである。

[みやわき のぼる/立命館大学教授]
(※「脇」の字は、「月」へんに「刀」3つ)

シリーズ政治の現在
戦争と民主主義の国際政治学


冷戦はなぜ第三次世界大戦をもたらさなかったのか。冷戦終結後、戦争が頻発しているのはなぜか。議会制民主主義と人民民主主義、2つの民主主義と「戦争と平和」の関係を考える。

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