• TOP
  • PR誌『評論』
  • PR誌『評論』223号:『幕末維新期のフランス外交 ──レオン・ロッシュ再考』の刊行に寄せて

『幕末維新期のフランス外交 ──レオン・ロッシュ再考』の刊行に寄せて

中武 香奈美

著者の中山裕史氏は本書の未定稿を残して2015年11月14日、病のため急逝した。享年66。先頃、七回忌が営まれた。中山氏は、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程修了後、パリ大学に留学し、フランスの対ロシア投資に関する研究で歴史学博士号を取得した。帰国後は、法政大学や桐朋学園大学短期大学部(現桐朋学園芸術短期大学)で教鞭をとり、19世紀から20世紀にかけての仏露経済関係史を主な研究テーマとした。また日本経済評論社から次の二冊を上梓している──モーリス・レヴィ=ルボワイエ『市場の創出──現代フランス経済史』(訳、2003年)、ピエール・マイヨー『フランス映画の社会史──マリアンヌのフィアンセたち』(中山信子氏と共訳、2008年)。

本書の刊行は、急逝の翌年5月、夫人の中山信子氏がパソコンの中に未定稿を見つけたことに始まる。中山氏の早稲田大学と同大学院時代からの親しい友人であった杉山伸也氏(慶應義塾大学名誉教授)と吉良芳恵氏(日本女子大学名誉教授)、そして横浜対外関係史研究会で一緒であった中武とが検討し、未完であるが充分に公刊に値する内容と判断して今回の刊行を企図した。

本書の副タイトルにもあげられ、主な分析対象であるレオン・ロッシュとは、幕末に第2代駐日フランス公使として着任し、激動の日本での約4年間の在任中に日仏貿易の拡大を企図し、日本の近代化政策の一環である横須賀製鉄所の建設やフランス陸軍顧問団の招聘、日仏会社設立の画策など積極的な幕府支援策をとったことで知られており、幕末の対外関係史研究では駐日イギリス公使のラザフォード・オールコックやハリー・パークスと並んで取り上げられてきた人物である。中山氏は本書で、従来のステレオタイプ的なロッシュ像の見直しを試みている。

このような専門外とも思える幕末維新期の日仏関係史やロッシュ研究を始めたきっかけは何であったのか。中山氏は次のように記している。当時『アーネスト・サトウ日記抄──遠い崖』を新聞連載中(後に全14巻として朝日新聞社から刊行)であった萩原延壽氏が取り寄せたフランス外務省文書の整理を手伝ったことがきっかけとなり、その後、中武の勤務する横浜開港資料館の在仏日仏関係史料収集に協力することになったことで幕末維新期研究に触れ、次第に「フランス史を研究しているものとして、おそらくは本書の読者であろう日本史研究者のフランス第二帝政像に若干の修正を迫りたい」と考えるようになったという。

以後、4本の関係論文の発表を挟んで約20年間、ヨーロッパ各国およびその植民地諸国・地域史研究の蓄積や一次史料を用いて、第二帝政期フランスの対外政策を多面的に検討し、ロッシュの来日前の北アフリカ(マグレブ)での活動を丹念に追い、グローバルな視点からロッシュの対日外交をとらえ直す研究をつづけた。

その研究成果は、例えばロッシュの出自や来日前の経歴、とくにイスラム世界での特異な活動がロッシュ個人の対日政策に影響を与えていたことを指摘している。北アフリカ史におけるロッシュは、軍人時代にマグレブ反仏闘争の主導者であるアブド・アルカーディルの秘書に、次いでフランスのアルジェリア総督ビュジョー将軍付き通訳官となった経歴から、「二重スパイ」というネガティブな評価が与えられてきたが、中山氏は外交官に転じてからの活動も丹念に追い、日本との有機的関連を示して見せる。またロッシュが駐日公使を務めた1860年代、フランスの植民地化が進むインドシナ(当初はコーチシナ)と日本との間に間接的ではあるが関連があったことも指摘している。当時、インドシナ植民地化論の積極的提唱者として知られたフランス海軍士官がロッシュの活動を高く評価した史実に着目し、その背景となるフランス海軍のインドシナ政策の実態を分析した上で得られた研究成果である。

このように本書は、幕末維新期の日仏関係史や対外関係史の新たな基本的文献となるのみならず、19世紀半ばの北アフリカ史やインドシナ史、あるいは第二帝政期フランスの外交政策に関心をもつ人びとにとっても注目に値する研究となるだろう。

[なかたけ かなみ/横浜開港資料館主任調査研究員]