政治における「公共」を問いなおす

松元 雅和

二〇二二年度より、高校の公民科に必修科目「公共」が新設される。生産年齢人口の減少、グローバル化の進展、一八歳選挙権の導入などの近年の時代の変化のなかで、自己と社会との関わりを踏まえ、社会に参画する主体として自立することや、他者と協働してよりよい社会を形成することなどを考察するための科目であるという。将来の社会を担う若い世代に公共意識をもってもらうことには一定の意義があるだろう。しかし同様に重要なことは、そもそも今現在の政治を担っている公職者や有権者に、どのような「公共」意識が根づいているかという点である。
二〇二一年四月に刊行された『公共の利益とは何か──公と私をつなぐ政治学』は、政治学の概説的な教科書として書かれている一方で、そのタイトルが示すように、「公共の利益」というかなり特定の視点から政治の営みを描き出そうとしている。政治の世界を記述する際に用いられる観念の意味を分析するのが政治哲学の特徴のひとつであり、本書もこうしたアプローチを踏襲している。本書内で指摘したように、憲法をはじめ、各種の法律には公共の利益やその類似概念である「公共の福祉」が頻出する。そこで本書は、あらためてこの概念レンズを通じて政治の世界を見なおそうとした。
具体的に本書では、公共の利益を〈独立型〉〈共通型〉〈総和型〉に類型化した(第二章)。第一の〈独立型〉は、それを市民の私的利益に還元できない共同体の利益と考える。第二の〈共通型〉は、それを市民の私的利益が一致する共通の利益と考える。第三の〈総和型〉は、それを市民の私的利益を総計した最大の利益と考える。私たちが政治に対して公共の利益を期待するとき、そこで意味されていることは必ずしも一様ではない。読者は本書の枠組みを用いることで、実際の政治判断にある基底的な意味とその多様性を捉えることができるだろう。
例えば、二〇二〇年より世界大で本格化した感染症とその対策をめぐっては、わが国でも自由と安全の、あるいは経済と健康のどちらを優先するかについて根深い意見の対立が見られた。もちろん、いずれも国民にとっての重大な利益であるが、かりに複数の価値が両立しがたいならば、何をどうすることがより「公共」に適うだろうか。こうした場合にまず見極めるべきは、どこまで議論の前提が共有されていて、どこから意見が分かれるかである。本書は特定の公共の利益観を擁護するものではないが、こうしたなかで一体何が私たちの利益を構成しているかを考えるための素材を提供している。
古典古代より、政治とは公共の利益を実現するための営みとして理解されてきた。現代日本でも、政治家や公務員の職務規定として、「公共の利益をそこなうことがないよう努めなければなら」ず(政治倫理綱領)、「公共の利益のために勤務し」なければならないことが定められている(国家公務員法、地方公務員法)。それゆえ、かれらの職務一般は、本来不可避的に公共の利益と接点をもっている、あるいはもつべきである。筆者自身、本書を執筆するなかで、この概念が一本の縦糸のように様々な政治の場面を繫いでいると度々感じることがあった。
本書では、こうした観点から、議会・官僚・政党といった政治学の馴染み深いトピックを眺めなおしている。例えば、直接民主主義に代わる間接(代議制)民主主義の意義(第六章)、政治家に対する官僚の「忖度」問題の是非(第八章)、地方自治における中央と地方の対立(第一二章)などは、いずれも公共の利益とその複数の意味に着目することで、よりよく理解することができるだろう。同時に、本書の分析視角は、「公共経済学」「公共政策学」「行政学」といった隣接分野とも多くの関心を共有しているはずである。
考えてみれば、“pubic”と“people”が同じラテン語を由来としているように、「公共」について問うことは、「私たち」自身について問うことと根元で繫がっている。本書は政治学を学ぶ大学生を想定して書かれているが、様々な実務や実践のなかで、あるいは一有権者として政治に関わる多くの人の手に取られれば、筆者としてこれ以上の喜びはない。
[まつもと まさかず/日本大学教授]