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四〇巻目の「ポスト・ケインジアン叢書」刊行に寄せて

緒方 俊雄

私がケムブリッジ学派経済学を研究していた時、中央大学の川口弘教授と日本経済評論社の当時の引地正社長との会談の席に招かれました。新しい経済学専門書出版の計画でした。当時「ポスト・ケインズ派経済学(PK)」は無名に近かったので、私はPK研究動向と代表的な経済学者リストを作成し提案しました。それが同社「ポスト・ケインジアン叢書」の始まりでした。このたび、J・E・キング編、小山庄三監訳『ポスト・ケインズ派経済理論(第二版)』(二〇二一年)の寄贈があり大きな感銘を受けています。
編者のキング氏は、PK研究領域の膨大な文献改題をまとめたPost Keynesian Economics; An Annotated Bibliography(1995)、代表的なポスト・ケインジアンとの対談記録であるConversations with Post Keynesians(1995)、『一般理論』以降の欧米のポスト・ケインズ派経済学の思想史であるA History of Post Keynesian Economics since 1936(2002)を公刊しているPK研究の大家です。
J・M・ケインズは、『貨幣、利子および雇用の一般理論』において、伝統的経済学の「セー法則」や「実物経済と貨幣経済の二分法」、貨幣数量説、均衡財政を主張する「大蔵省見解」を否定して、有効需要の原理やミクロとマクロの「合成の誤謬」の視点を柱に「ケインズ革命」を起こしましたが、「未完の革命」でした。その後「一般理論の一般化」として長期理論に拡張したのが英国のR・ハロッド、J・ロビンソン、N・カルドアらでした。他方、米国のR・ソローやT・W・スワン、P・サムエルソンらの間で論争が起こりました。そこには資本主義経済の不安定性や分配問題がかかわっていましたが、米国で主流となったのが新古典派ケインジアンの経済学でした。
しかし、一九七一年に米国の経済学会会長のK・ガルブレイスはその基調講演をJ・ロビンソンに依頼しました。本書の「日本語訳の刊行によせて」において宇沢弘文氏も指摘しているように、ロビンソンは「経済理論の第二の危機」を報告しました。それが契機となって米国では非正統派の経済学者たちの意見交流が始まりました。またA・S・アイクナーとJ・クレーゲルの「ポスト・ケインズ派理論試論──経済学の新しいパラダイム」(JEL, 1975年)が発表され、ニュージャージー州立ラトガース大学にポスト・ケインズ派経済学研究センター(PKセンター)と経済専門雑誌Journal of Post-Keynesian Economics(JPKE)の編集室が置かれ、S・ワイントロープとP・デヴィッドソンが編集者に選ばれました。この間の事情は本書の該当項目に詳しく解説されています。
私は、PK叢書第二巻としてアイクナー編『ポスト・ケインズ派経済学入門』(一九八〇年)を翻訳し、直後に米国留学の機会を得て、PKセンターに在籍し、JPKEの編集とPK国際会議の運営に参画しました。当時同大学院には米国だけでなく欧州からもPK研究に参加する院生がおり、彼らの数名が本書の項目を執筆しているのを知って懐かしく思っています。
アイクナー編『入門』では、ロビンソンが序文を書き、マクロ動学、価格設定、所得分配、税の帰着、生産理論、スラッファの貢献、労働市場、貨幣的要因、国際的次元、自然資源の一〇項目が取り上げられました。しかしその後、「ケインズ時代」が終わり、新自由主義の下で行きすぎた経済グローバル化は、多くの国に深刻な財政危機と政治不安をもたらし、「大蔵省見解」が再び登場し、各国に経済停滞を引き起こしています。
本書では、そうした経済動向を引き起こしている主流派経済学に代わる政治経済学を再構築するために、ケムブリッジ学派経済学の伝統やケインズの代表的な著作の解説とともに、カルドアの経済学、ガルブレイスの経済学、カレツキの経済学、J・ロビンソンの経済学、スラッファの経済学などの論点を明示しながら、それと区別された新しい古典派経済学、新しい新古典派総合、ニュー・ケインジアンの経済学などの問題点を明らかにしています。また経済学の方法論上の問題点、現代貨幣理論(MMT)や貨幣制度に関する項目、国際政治経済に関する項目など一一二項目にわたるPK経済学の各構成要素が解説されています。
そして監訳者のあとがきでは、現在の停滞した経済の分析と政策提言の事例が紹介されています。原書六二四頁(訳書七一九頁)の大著はPK叢書四〇巻目となります。監訳者とPK研究会の方々のご努力と熱意に感謝します。
[おがた としお/中央大学名誉教授、ベトナム政府・天然資源環境省研究所顧問]