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特集●10年目の〈3・11〉─何をどのように選びとるか 地域社会の選択──災害に強い地域づくり

福与徳文

東日本大震災から10年が経過した。いま津波被災地を歩いてみると、新たに建設された巨大な海岸堤防に誰しも圧倒されるであろう。しかし、ちょっと待っていただきたい。震災は多くの教訓を遺したが、そもそも「海岸堤防だけでは命と暮らしを守ることはできない」という点が今回の教訓の一丁目一番地ではなかったのか。また、いたるところで盛土による地盤の嵩上げが目につくが、専門家の会議でも日常的な地盤災害のリスクが懸念されていた。大きな津波に対しては、住宅は高所に移転させ、低地部(津波浸水区域)は津波緩衝帯として粗放的に利用するなど、地域の地形条件などに合わせて、しなやかにかわすような地域づくりを進めていくはずではなかったのか。しかし10年経ったいま、現実はそれとは異なり、マッチョな津波防御施設が築かれつつある。いくら強力な防御施設を整備しても、自然の脅威は我々の想定をはるかに超えてくるという点も、震災の大事な教訓であったはずだ。

さて筆者は、津波被災地において住民参加型の復興計画づくりを支援してきた中で明らかとなった知見をまとめ、『災害に強い地域づくり──地域社会の内発性と計画』を日本経済評論社から上梓させていただいた。拙著の中で最も強調したかったことは、災害に強い地域をつくるためには、行政に頼りきることなく、「自分たちの地域は自分たちで守る」、「自分たちの地域のことは自分たちで決める」といった地域社会の内発性が、住民の命を守る大切な資産になるという点である。しかし、過疎化、高齢化、混住化などにより、多くの地域社会は空洞化し、放っておいても内発性が発揮されるという状況ではもはやなくなっている。そこで地域社会の内発性を引き出し、育てるための「仕掛け」が必要となる。そうした「仕掛け」の一つが、被災住民が「参加」し、専門家の知見などを「学習」しながら話し合って合意形成をはかる「参加学習型の計画づくり」なのである。

復興計画をつくるにも、避難計画をつくるにも、「参加学習型の計画づくり」の中では、住民が「学習」するというプロセスが、とくに重要となる。というのは、「堤防の高さをどれくらいにすれば、津波はどこまで到達するのか」とか、「土砂災害が起きやすいエリアはどこなのか」とか、専門家のもつ知見を住民が学びながら話し合い、住民間で情報や認識を共有していくことこそが、災害に強い地域づくりにつながるからである。そして、そうした「参加学習型の計画づくり」の「学習」において効果を発揮するのが、ビジュアライズ(見える化)技術なのである。

筆者は、東日本大震災の復興現場で、さまざまな分野の専門家とともに、フォトモンタージュによる景観シミュレーションや、沿岸農地の氾濫シミュレーションモデルによる津波浸水シミュレーションや、数理計画モデルによる農地利用最適化シミュレーションをビジュアライズしながら被災住民に地域の復興について話し合ってもらうという、ささやかな支援を行ってきた。ここではフォトモンタージュによる景観シミュレーション技術により、被災住民による復興計画づくりを支援した一例として、岩手県大船渡市吉浜のケースを紙面が許す限り紹介しておこう。

吉浜は、明治三陸津波(1896年)では、海岸近くにあった集落が壊滅的な被害を受けた。当時の村長の先導により、低地部にあった住居を高所に移転させ、低地部の住宅跡地を農地に転換して津波緩衝帯と位置づけ、その後、低地部には決して戻らなかったため、東日本大震災では巨大津波が押し寄せたにも関わらず、被害を最小限(犠牲者1名)にとどめたことで大変有名になった地域である。「ラッキービーチ」(USA TODAY)とか、「吉浜の奇跡」(読売新聞)とか呼ばれ、マスコミにも取り上げられた。吉浜では、人的被害を最小限に抑えたため、早くから被災住民自身が吉浜農地復興委員会を立ち上げ、「海岸堤防は高くしないが、第二堤防(兼集落道)を設置する」という復興計画案を策定して合意形成をはかろうとしていた。そうした被災住民自身による復興計画づくりに対して、筆者らがまず行った技術的支援が、吉浜住民が作成した復興計画案の景観シミュレーションを話し合いの場において映写したことである。

被災した吉浜の写真をベースに、計画案にある第二堤防(兼集落道)をCG等により描いた景観シミュレーションを会場で映写したとき、話し合いの参加者からは、「第二堤防の高さがちょうど津波に浸かった程度の高さなので、もう少し高くしないと住宅への浸水を許してしまうのではないか」とか、「第二堤防を整備することによって、津波が到達しなかったエリアの方に津波が遡上してしまうのではないか」といった疑問が呈せられ、また、「海岸まで観光バスが行けるようになるのなら、また民宿を再開してもよい」といった感想が出された。これらを見ても、景観シミュレーションには、計画案に対する被災住民の理解を促進し、話し合いを活性化する効果があったといってよいだろう。さらに地域のお祭りの場に関するシミュレーション(神社から神輿が一直線に海に降りられるような参道整備のイメージ図)を映写したとき、「これを見たら元気が出てきた」、「お祭り広場も整備したらよい」といったように会場が急に活気づいた。景観シミュレーションには、計画案に対する住民の理解を促進し、話し合いを活性化するというねらいどおりの効果とともに、復興にむけて被災住民に「元気を取り戻してもらう」という潜在的機能も認められた。

このあと筆者らは、被災住民から呈された疑問に応えるために津波浸水シミュレーションを示したり、追加の景観シミュレーションを提出したりして支援を続けていった。ところが地域の意見がまとまりかけたとき、行政側から海岸堤防の高さを2倍にする復興計画案が提示された。このため吉浜では、堤防の高さをめぐって地域の中の意見が割れてしまい、その後、何回も学習しながら話し合い、最後は投票で決着をつけていった。さて、ここで紙面が尽きたようだ。吉浜における話し合いの経緯と結末(地域は何を選択したのか)について興味を抱かれた読者には、是非、拙著を手にとっていただきたい。

[ふくよ なるふみ/茨城大学教授]