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五十周年記念特集●学術出版の「これから」─研究と著作③ 研究倫理と研究不正 ──『創作か 盗作か─「大東亜共栄論圏」論をめぐって』を読んで

老川慶喜

「創作か 盗作か」というやや刺激的な表題をもつ本書(原朗著、同時代社、2020年)は、原朗氏と小林英夫氏との2013年7月以来7年にもわたった裁判の記録である。改めて紹介するまでもなく、お二人とも著名な経済史家で、多くの業績を残されている。

ことの発端は、今から45年も前の1975年にさかのぼる。この年の12月、小林氏は『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』(御茶の水書房)という大著を出版し、原氏の研究室に届けた。当時学界で高い評価を受け、小林氏の出世作ともなった同書が、実は同氏の「創作」ではなく前年の1974年10月に開催された土地制度史学会(現在の政治経済学・経済史学会)秋期学術大会における原氏の共通論題報告「『大東亜共栄圏』の経済的実態」の内容を「盗作」したものであったというのである。土地制度史学会の共通論題報告では、小林氏も報告者の一人として登壇し、「一九三〇年代植民地『工業化』の諸問題」という報告を行っている。なお、共通論題全体のテーマは「一九三〇年代における日本帝国主義の植民地問題」で、原、小林両氏の報告と、当時早稲田大学の大学院生であった高橋泰隆氏の「日本ファシズムと『満州』農業移民」という三本の報告からなっている。

土地制度史学会は、この3本の共通論題報告を1976年4月に刊行された学会誌『土地制度史学』(第71号)に一括掲載した。原氏が学会報告をしたのは1974年10月、その報告が雑誌に掲載されたのが1976年4月であったから、「盗作」をしたとされる小林氏の著書は「盗作」された原氏の共通論題報告よりも4か月ほど早く活字となって出版されたことになる。また、原氏と小林氏は、1969年4月以来「満州史研究会」で切磋琢磨してきた「研究仲間」でもあったので、小林氏が著書を出版するさいに、原氏がどのような研究をしていたかを十分に知り得る立場にあった。

原氏は、当時の土地制度史学会の状況、小林氏の研究者としての将来などを慮って、小林氏による「盗作」をとくに告発することもなく、ながらく沈黙を守ってきた。しかし、2001年2月に出版された柳沢遊・岡部牧夫編『展望 日本歴史20 帝国と植民地』(東京堂出版)に前述の大会報告論文が掲載されたさいに、先の事実関係を「追記」という形で明らかにした。原氏が述べているように、正しい研究史を後世に伝えるためには必要な追記であったと思う。同時に、還暦を迎え自らの研究者としての人生を振り返ったとき、原氏としてはこの事実に触れざるを得なかったのではないかとも推察する。

原氏は、東京大学退官後の勤務先であった東京国際大学の最終講義、さらには2013年3月に出版された私家版『満州経済統制研究』(東京大学出版会)の「あとがき」でもそのことを述べた。この原氏の一連の行動に対し、小林氏は2013年7月に「名誉棄損」であるとして訴訟を起こした。原氏は大会報告の研究内容を「盗作」された被害者、小林氏は原氏の研究報告を「盗作」した加害者である。つまり、この裁判では、被害者が加害者に訴えられたのである。

本書は、原氏がまとめたこの裁判の記録であるが、同時に、あるいはそれ以上に経済史研究の碩学である原氏の研究者としての歩みの記録として読むことができる。山田盛太郎・矢内原忠雄・大塚久雄氏らの先学に学びながら、自らの研究課題を「日本戦時経済分析」「帝国主義下のアジア」「現代日本経済史序説」という三部作の執筆に設定し、当面は「満州支配の経済的実態」というテーマを掲げて、若き日の原氏が泉山三六、十河信二、鮎川義介などの新資料を発掘し、満鉄経済調査会の『立案調査書類』を神田の古書店で探し出す姿は感動的でさえある。課題が明確であれば、資料はあとからついてくると言われた方がおられるが、それを実証しているかのようである。

しかし、小林氏の著書が現れて事態は一変する。小林氏に研究を盗まれた原氏は、自ら育んできた研究課題の追究を断念して研究のスタイルを変え、個人研究よりも共同研究を重視し、次世代の研究者の育成に力を注ぎ、一次資料の発掘と刊行に取り組むようになったという。また、学界活動や学内行政もおろそかにはせず、研究の自由を守り後進の研究者育成に努めてきた。原氏は、このように小林氏の著書の出現によって研究姿勢を変えざるを得なかったと述べているが、正直言って私にはこの点がよく理解できなかった。原氏は、小林氏の著書が出版される以前から共同研究に積極的に取り組んでいたし、小林氏の著書が出版されてからも『日本戦時経済研究』(東京大学出版会、2013年)に収録された諸研究にみられるように、日本経済史研究の牽引者の一人として多くの業績を挙げておられるからである。また、原氏の真の気持ちを推し測ることはできないが、小林氏が単著を出版したとはいえ、みずからの研究をまとめることはできたのではないかとも思う。

本書は原氏と小林氏の「創作か、盗作か」をめぐる裁判の記録であるが、そこに一貫して流れているのは、原氏の研究者としての真摯な姿勢である。小林氏への批判も、被害者である原氏自身の問題としてだけではなく、研究者の倫理の問題、正しい学問のあり方の問題として提起されている。原氏は法廷で、「この裁判での御判断が、日本の人文社会科学界の研究倫理のために有意義なものになっていただくことが、ただ一つの願い」(本書347〜348頁)であると述べている。本書の読後に感じたある種のすがすがしさは、こうした原氏の裁判に臨む一貫した姿勢の故と思われる。若い研究者には本書をぜひ一読し、原氏の研究者としての姿勢を直に学んでほしい。

しかしながら、裁判は原氏の願いに沿うものとはならなかった。第一審、第二審とも小林氏の勝訴に終わり、それは2020年6月に言い渡された最高裁の判決でも覆らなかった。判決文は、小林氏の著書の記述が原氏の共通論題報告の内容と重なっていることは認めるものの、「盗作」「剽窃」といえるほどのものではないという、いささか歯切れの悪いものであった。この判決は、近年の研究者倫理の厳格化を求める文部科学省や学術会議などの考え方とも齟齬をきたしていると思われる。

私は、この司法の判断が妥当か否かを論ずるつもりはないが、小林氏が自著の「あとがき」で「満州史研究会の原朗氏とおこなった数度の打ち合わせの討議が、本書作成に大いに役立った」と述べているにもかかわらず、原氏の研究のどこがどのように役立ったのかについてはほとんど触れていないことが気になる。小林氏は裁判には勝ったが、むしろそれだからこそ自著と原氏の研究との関係について、司法の場ではなく学界で、真摯に説明しなければならないのではないだろうか。それは、小林氏が原氏の研究を盗んだのかどうかという問題を超えて、研究上のある種の「作法」であるとともに、研究史を後世に正しく伝えるためにも必要なことだと思うからである。 

[おいかわよしのぶ/立教大学名誉教授]