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五十周年記念特集●災害とコミュニティの「これから」─孤立と協同④      協同組合と災禍

大高 研道

協同組合は、その歴史の中で人びとが困難に直面してきたときにその力を発揮してきた。産業革命期に、人間の本性に反した自由競争とは異なる協同を根本原理に据えた社会形成をめざしたロバート・オウエン、そして極度な困窮状態に陥った労働者が自分たちの店を作ったロッチデール公正先駆者組合の協同の精神は、今日にまで多様な形で引き継がれている(中川雄一郎・杉本貴志編著『協同組合を学ぶ』日本経済評論社、2012年)。

我が国においても、イギリスのロッチデール公正先駆者組合が設立された1844年と同じ時期に、農民たちが緊急時に備える「講」の慣習を受け継いだ二宮尊徳の報徳社や大原幽学の先祖株組合が生まれていた。その根本にある世界観とは何か。それは、最も困難な状況にある人びとが安心できない社会は、真の意味での豊かな社会・健全な社会とは言えないという思いである。

協同組合は災禍の際にも重要な役割を発揮してきた。東日本大震災では生協・農協・漁協・信用金庫、ワーカーズコープなどが、被災地での救援活動、暮らしや生業の立て直しに大きく貢献してきたことはよく知られている。また、コロナ禍による外出規制の中、共同購入の経験を生かした生協の宅配システムは多くの消費者のライフラインとして機能した。キャンパスが閉鎖され閉店・休業状態に陥った大学生協も、周辺に生活施設が乏しい地方大学などでは食堂を地域に開放して営業したり、学生の困りごとのアンケート調査を実施し、その暮らしを支えるために何ができるか、真剣に模索している。

歴史をさかのぼると、1959年の伊勢湾台風による甚大な被害とその後の自分たちの地域に医療機関をという被災住民の声の広がりによって誕生した南医療生協(愛知県)、1964年の新潟地震時に被災した鶴岡生協(山形県)に対する支援運動から生まれた庄内医療生協(現医療生協やまがた)など、困難(災害)をきっかけとして生まれた住民たちの運動が結実して協同組合設立につながった実践は数多くみられる。そして、これらは単なる一事業体としての活動の枠を超えて、地域の暮らしを総合的に守る存在として重要な役割を果たしてきた。

これらの経験が教えてくれることは何か。少しひねくれた言い方をすれば、緊急時の社会貢献は、何も協同組合だけが行っているわけではない。よって、災禍の中で協同組合が何をやったかを声高にアピールしても、協同組合らしさやその本質は理解されないだろう。むしろ、その真価は歴史的な協同の蓄積そのものにある。つまり、地域での協同の経験を語り継ぎ、ともに行動し、協同すること自体を文化やローカルな知として地域に根づかせていった営みの積み重ねの中にこそ、その本源的役割と価値を見出すことができる。災禍下において発揮された力はその協同蓄積の現象である。

近年、暴走する資本主義のなかで、人間らしい経済や暮らしの実現に向けた協同組合への期待は高まっている。2012年の国連国際年は「国際協同組合年」であった。そして、2016年にはドイツの提案によって「共通の利益の実現のために協同組合を組織するという思想と実践」がユネスコ無形文化遺産に登録されている。困難に直面した際に助け合ったという集合的記憶を持続的な協同の文化として定着させたことが評価されたと考えてもよいだろう。

阪神淡路大震災(1995年1月17日)から25年経った。いま、当時のことを知る大学生はほとんどいない。東日本大震災(2011年3月11日)から9年が経ったが、徐々に当時の記憶を有する学生も少なくなっていくであろう。同じようにコロナ禍も忘れ去られる時代が来るかもしれない。少しずつ記憶が薄れる中で、一過性の絆や市場交換価値に基づいた助け合いではなく、人間の本性に埋め込まれた協同という普遍的価値を地域に根づかせ、後世に引き継ぐ営みの中にこそ、この世の中に協同組合が存在する意味がある。そして、その中心には社会から置き去りにされ、忘れ去られた人びとの解放と相互自助の精神が据えられている。

おりしも、2020年6月12日、42年ぶりに協同組合の新しい法律「労働者協同組合法案」が全党・全会派の賛同をもって衆議院に提出された。本法律自体が約20年間にわたって協同を積み上げてきた成果といえる。分断や対立ではなく協同を基本精神とし、命と暮らしの基盤を取り戻し、人間らしい社会の再構築に向けた新たな協同の挑戦がまた始まろうとしている。

[おおたか けんどう/明治大学教授]