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五十周年記念特集●経済学研究の「これから」─活路と隘路①五〇年という時間

武田晴人

 日本経済評論社が設立から五〇年という歴史を刻んだ。この時間は、ちょうど私が研究者を志してからの時間に重なる。ただ、最初の頃は、山口和雄監修・商品流通史研究会編『近代日本商品流通史資料』(全一三巻、一九七九年)を復刻出版した出版社という程度の認識しかなかった。明確な接点が生まれたのは、一九九〇年前後のことで、長原豊『天皇制国家と農民』(一九八九年)の書評を書き、九一年に麻島昭一先生の『本邦生保資金運用史』という一〇〇〇ページを超える大著の出版祝いに出席したあたりからになる。そのお祝いの席で、こんな無謀な出版に挑んだ栗原哲也社長の不敵な面構えに接して、妙に納得した記憶がある。
 その後、学会の懇親会などで栗原社長や故・谷口京延さん、柿崎均さん(現社長)などとお話しする機会が重なっても、しばらくの間、書き手と出版人という関係の付き合いはなかった。そんな関係が続く中で、『日本経済の事件簿』が新版として刊行されることになり、その後、栗原社長の発案で『所得倍増計画を読み解く』(二〇一四年)という資料解説、翌年には『歴史の立会人 渋沢敬三』(二〇一五年)を出版していただいた。
念願の単著は、二〇一七年に『鈴木商店の経営破綻』と『異端の試み』として実現した。前者はともかく、後者の書名には栗原社長も同席した谷口さんも意表を突かれたらしかった。『異端の試み』はこれまでの経済史・経営史研究を振りかえり、自らが学んできたことを解説することによって、研究史の進展のなかで研究の現在地を確認しようとしている。経済史や経営史の研究が五〇年の間に大きく様変わりし、マルクス経済学的な分析視点にこだわりを持ち続ける私のような研究者は数少なくなった。学問研究も、その関心を向ける問題群、分析に用いる手法などが時代とともに変容している。この変容は、それぞれの研究者が時流に流されず、自らの問題関心に誠実に向き合い、時に異端視されることをおそれずに挑戦を続けてきたことによっている。ガルブレイスという経済学者は、もし野心的な若者が学界で地位を得ようとするなら、最もホットな論点を取り上げて、できるだけ難解な論文を書くことが近道になると、彼一流の皮肉を込めて学界の業績主義的な風潮を批判したことがある。自分の問題関心に向き合わず、就職活動のために論文を書くような愚かさに、次代を担う若い研究者が陥ってほしくない。
 私たちの世代が一九七〇年代の後半に研究を始めた頃には、経済史と経営史とは対照的な枠組みを主張し、その枠組みを前提に新しい資料を見出して論文を書くことも可能だった。さまざまな分野で新しい貴重な資料が発掘され、その恩恵で研究が加速された。他方で、こうしたなかで方法的な問いが十分ではなく、先行研究を批判的に継承して新しい方法的な枠組みを示すことがおろそかになった。だから当時の論文の多くは、講座派であれ、労農派であれ、既存の枠組みに寄りかかって、自分の立ち位置を明らかにしようとしていた。それは歴史研究者としての責任を放棄する所為であり、既存の枠組みを神格化することは、丸山眞男が戦前日本の政治体制の特質としてえぐり出した「無責任体制」に似た構図の落とし穴に陥ることになる。
それでも何人もの挑戦者たちが既存の枠組みを批判的に継承しようとして部分的にせよ再構築することを試みた研究の蓄積が私たちの共通の財産となっている。それが私たちが研究を進めるための重要な参照基準になる。そこでは既存の枠組みをそのまま受け入れるのではなく、その問題点を探り当て、それに対して不断の思考が重ねられてきた。それを受け止める私たちにとって大事なことは、そこで積み上げられてきた緻密な「思想の冒険」から学び、自らの糧とすることである。
 歴史研究にとって資料に依存した研究は、資料の公開の度合いなどによって制約を受ける。資料収集の地道な努力はこれからも続くだろうが、これからの研究が戦後史などまだ蓄積が十分ではない分野に展開すればともかく、そうでない場合には、私たちの世代とは異なり、新資料に出会う機会は少なくなるだろう。だからこそ、既知の資料群のなかから新しい解釈を生み出すような、精緻な思考が求められる。経済学などの枠組みを借用して「新しい」解釈を示すことはできるかもしれないが、それでは、かつての研究がそうであったように、方法的な問いかけが疎かになる危険がある。だから、研究史や理論的な枠組みに対して、私たちは緊張感を持って接し、自らの「思想の冒険」を続けなければならない。
これからも、多様な研究の成果も含めて、研究論文が一次的な成果物として世に問われ、議論を巻き起こすきっかけを作り出すだろう。しかし、論文によって明らかにされることがらは、歴史像の部分を切り取ったものだから、その部分が全体のなかでどう位置付くかに注意する必要がある。紙数制限のある論文では、歴史研究などで著者が抱いているビジョン、歴史の全体像を伝えることは難しい。だから、もっとたくさんの言葉を重ねて、研ぎ澄まされた思考を文字に写してまとめて示すことが不可欠になる。それによって直接の対話ができる範囲を超えて、それぞれの専門分野の研究に関わるたくさんの人たちが共同作業に参画し、新しい地平に立つことを目指すことができる。こうした空間的な広がりを媒介にするうえで、書物は不可欠な役割を果たしてきたし、これからもそうだろう。
 このような空間的な広がりだけでなく、書物は時間を超えた対話も可能とする。よい研究成果は、一時期にたくさんの読者を得ることができなくとも、次の時代の人たちにも長く読み継がれ、研究の出発点を照らし出す一方で、厳しい批判の対象ともなる。それ自体が、これまでの研究との対話のもとに研究活動が進展していることを示している。
 そして、書物はこれまでも、これからも、その対話の橋渡し役として研究活動の貴重な資源となる。この持続的な営みには出版が不可欠の役割を果たす。研究者と出版人とはパートナーである。限られた部数をできるだけ廉価で読者に届けるのは至難の業であるに違いないと思いながら、私たちはそれに寄りかかってきた。これまでと同様の悪路、荒天が続くに違いないが、その難事業に挑み続ける出版社があることが、私たちにとってどれほど心強いことであるかは、いくら言葉を重ねても表しようがない。感謝を込めて、多様な社会科学の分野に出版活動の実績を積み上げ、研究活動を支えてきた日本経済評論社のこれからの五〇年に期待したい。 
[たけだ はるひと/経済史家]