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教育者・研究者と出版社との共同作業による大学教育

中西 聡

 昨年の私は、社会経済史学会大会のラウンドテーブルおよび第五回アカデミック・フォーラムで、大学教育を考え直す機会を得た。私はこれまで本務校として北海道大学・名古屋大学・慶應義塾大学で大学教育に携わってきたが、こうした経験も含めて、大学教育のあり方を考えてみたい。私は一九九五年から北海道大学経済学部で日本経済史の講義を担当したが、その際に留意したのは、社会科学の考え方は多様であって一元化され得ず、だからこそ学生に自分なりの考え方を持ってもらいたいことであった。そこで歴史観の異なるテキストである石井寛治『日本経済史[第二版]』東京大学出版会、一九九一年と三和良一『概説日本経済史 近現代』東京大学出版会、一九九三年の二冊を読み比べつつ、同じデータから相異なる歴史像が描けることを学生に伝えようとした。しかし、その両書ともに私が研究上で重視していた流通の側面への記述は少なかった。そのころ、山川出版社が始めた部門別に新体系日本史シリーズを刊行する企画で、桜井英治氏と私が編者になって『新体系日本史一二 流通経済史』を作ることになり、ようやく自分の研究関心に即したテキストが二〇〇二年に刊行された。とは言え、日本経済史教育において、流通面のみを教えるわけにはいかず、同じシリーズの中岡哲郎ほか編『新体系日本史一一 産業技術史』二〇〇一年なども併用しつつ、生産と流通と消費、経済政策などをバランスよく教えようと努めた。
 それに加えて、一九九九年から私が教壇に立った名古屋大学経済学部では、「日本経済史」や「西洋経済史」の講義と別に、「一般経済史」という講義が設置されていた。著名なテキストとして長岡新吉・石坂昭雄編著『一般経済史』ミネルヴァ書房、一九八三年があったが、多様な考え方を包摂するような歴史叙述にはなっておらず、私自身が「一般経済史」を担当する際に、何を教えたらよいかとても迷った。そこで、歴史上の著名な経済史学者を一回の講義で一人取り上げて、経済史学の歴史を教えることとした。実際には、マルクス、ウェーバー、レーニン、山田盛太郎、宇野弘蔵、大塚久雄、ヒックス、ロストゥ、シュンペーター、チャンドラー、ブロック、ブローデル、ウォーラーステイン、フランクを取り上げ、各回の講義で、取り上げた学者のライフヒストリーとその学者の歴史観との関連を話し、その学者の代表作の主な内容と特徴を話し、最後にその考え方が現代社会にとってどのように活かせるかを話した。マルクス経済学の唯物史観や大塚史学がグランドセオリーとして語られなくなった時代の試行錯誤の産物と言える。
 その頃、国立大学の独立行政法人化のなかで、大学教育サービスの充実として学部教育の標準化が求められ、どの教員も同じ内容を教えられる標準的なテキストの作成が重要となり、大学教育に教員と出版社の共同作業の側面が強まった。ただし、歴史学分野の学習は「各論」から入るべきとの意見もあり、教える側の個性も重要である。そのバランスをとりつつ、名古屋大学経済学部の経済史分野の教員を中心として、「一般経済史」科目向けのテキストの作成が始まった。私も編者としてその企画に加わり、世界の歴史学界で潮流となりつつあったグローバル・ヒストリーを意識した。グローバル・ヒストリーの考え方は、西欧中心史観への批判として世界全体を長期的な流れの中で位置付ける面で傾聴に値すると感じ、通史では東西世界をバランスよくしかも関連させて記述することに努めた。ただし、前近代と近現代では世界的な結び付きの性質が異なると思われ、ナショナル・ヒストリーの意義も併せて重視し、通史編各章の副題を考えた。また、歴史学分野の特色である「各論」の利点も活かすために、第一部を通史編、第二部をテーマ編とした(金井雄一・中西聡・福澤直樹編『世界経済の歴史──グローバル経済史入門』名古屋大学出版会、二〇一〇年)。編集にあたって、一般読者の視点からみた出版社の意見も重要で、文体や構成面でかなり採り入れた。
 それに続いて、日本経済史のテキストとして、多くの大学教員の協力を得て、中西聡編『日本経済の歴史──列島経済史入門』名古屋大学出版会、二〇一三年も刊行し、私が担当する経済史科目については、この二冊のテキストで対応できるだろうと考えた。ところが二〇一三年に着任した慶應義塾大学経済学部では、学部一年生向けに「歴史的経済分析の視点」という講義が開講されることになった。同科目を担当する際に私は、当初は経済史学の歴史について講義したが、学部一年生には難しすぎるため、彼らにも親しみやすい個別具体的な論点をもとに、それが現代の経済問題にどのような影響を与えているかに触れつつ経済史学の方法を学ぶというコンセプトを立て、やはり多くの大学教員の協力を得て、中西聡編『経済社会の歴史──生活からの経済史入門』名古屋大学出版会、二〇一七年を刊行した。その主な内容と特徴は、昨年一二月の日本経済学会連合主催の第五回アカデミック・フォーラムで報告し、日本経済学会連合のホームページにその報告要旨が掲載される予定のため詳しくはそちらを参照されたい。
 『経済社会の歴史』は、「総論」としての世界経済史を学ぶ前に、経済史学の性質や方法を易しく学ぶためのテキストであり、「概論」の位置付けをもつが、「概論」をさらに展開するものとして、自分の方法論や自分の研究を学生に伝える「特論」も必要であろう。「特論」は、大学教員が同時に研究者でもあることが前提で、自分の研究が素材になることが多い。生産と消費を結ぶ流通面から日本経済史を教えてみたいと私は思ってきたので、中西聡『旅文化と物流』日本経済評論社、二〇一六年は「特論」で使ってみたい素材である。「特論」科目は、「総論」と「各論」を学んだ上で、さらにその分野の学問を深めたい学部四年生向けに相応しく、それが学部教育と大学院教育との橋渡しとなる。その学問分野の性質や方法についての「概論」講義、全体を敷衍した「総論」講義、その学問分野をある程度分割した「各論」講義、講義担当者の研究分野に関連する「特論」講義を、学年の進展に応じて配置することができれば大学教育として奥行きのある構成になるであろう。
[なかにし さとる/慶應義塾大学教授]