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  • PR誌『評論』214号:境界を越えた人びとの非対称的経験を問う

境界を越えた人びとの非対称的経験を問う

木村 健二

 これまで近代日本の人の国際移動に関する研究は、主として国家や地域社会、そして個人ないし集団や団体がどのように関わりあいつつ展開していったかに焦点をあてて取り組まれてきたように思う。そうした成果の一端として、我々は、日本帝国の崩壊という国際関係が激変する中で、外地からの引揚げや日本内地からの帰還について、今泉裕美子ほか編著『日本帝国崩壊期「引揚げ」の比較研究──国際関係と地域の視点から』(日本経済評論社、二〇一六年)で発表した。それに寄せられたさまざまな批判、とりわけ個々人の「自発性」「主体性」などのミクロレベルの掘り下げの不十分さをふまえつつ、今回は、その際の日本側メンバー四人に、韓国側の四人を加えた韓国啓明大学校国境研究所における国際シンポジウム(二〇一八年一月、大邱広域市で開催)の成果を発表することになった。それが本書『近代朝鮮の境界を越えた人びと』である。
 そこでは、一度越えた境界(国境)は、とりわけ個々人にとっては大きな「飛躍」となったり、「強いられたり、やむをえざる」ものであったにしても、越えたのちにも、地理的政治的に留まらず、文化的社会的な新たな境界にぶつかることになったことを、朝鮮人の四つのケースと日本人の四つのケースで各執筆者が論じている。
 すなわち、境界を越えた朝鮮人に関してみれば、豊臣秀吉の朝鮮侵攻にともない日本に連行された朝鮮人たちはさまざまな境遇に置かれ、自らの生業を展開・伝達することによって生き延びていったこと(第一章)、しかし時代を経ても対等に扱われなかったケースを明らかにしている(補論)。「日韓併合」以降増加していった間島地域への朝鮮人の越境については、民族間の土地所有関係の緊張と葛藤のもとで、日本の対朝鮮・満洲政策の進行にともない、「中国の中の新たな朝鮮」として矛盾を深化させていく点を強調している(第四章)。戦時労働動員下の南洋群島への朝鮮人の送り出しに関しては、募集条件の厳しさなどから容易に募集が進まず、朝鮮総督府の斡旋に依存せざるを得なかった点に強いられた境界の存在を論じている(第五章)。日本内地の朝鮮人に関しては、協和会への関わり方を通じて、戦後の帰還や残留、そして民族内部の関係をさらに複雑で歪んだものにしたことを論証している(第七章)。
 朝鮮に入境した日本人に関してみれば、大韓帝国期に「お雇い外国人」として渡航し、鉄道の電気車輌や度量衡器の持ち込みなどを行った一人の日本人技術者に着目し、その「抵抗を和らげる役割」と「技術の政治性」という側面に関して考察している(第二章)。また、ひとたび朝鮮に渡ったものの、日本の新たな膨張政策=「鮮満一体化政策」のもとで、朝鮮に留まることなく、自主的あるいは転勤などの形で官吏・駐在員・自営業者などが「満洲」をめざし、新たな侵略の社会的基盤となったことを示唆している(第三章)。さらに日中戦争以降に朝鮮総督府鉄道局に就職した一日本人のライフヒストリーに着目し、その官吏としてのキャリアの形成が、朝鮮人に対する優位性のもとで成し遂げられ、かつまた引揚げ後も再就職という場面で生かされたことを指摘している(第六章)。最後に、朝鮮で生まれた日本人二世の、引揚げ後の思想状況とその変遷過程に、二つの小説作品から接近し、軍国少年からの脱皮や大村収容所の朝鮮人へのまなざしという視角から光をあてている(第八章)。
 以上のような八名の執筆者による個人や集団の分析によって、近代という時代に朝鮮という境界を越えた人の移動は、単に境界という空間の移動で終わるのではなく、その後に引きずるさまざまな境界の存在に相対しなければならなかったことが浮き彫りにできたであろう。この点は、前著で残されたミクロレベルでの実証分析という課題を一歩進めたものということができよう。そしてこのような事象が、近代世界、とりわけ帝国主義の時代の朝鮮において熾烈な形で現れたことの要因を探ることが次の課題になってこよう。そこでは、高級官僚から一旗組といった非常に幅の広い職種・階層にわたる日本人の、境界を越えた朝鮮への移動に起源があり、けっして対等で対称的な関係にあったものではなかったことを前提としなければなるまい。
 [きむら けんじ/下関市立大学名誉教授]