神保町の交差点

●著作権法が四八年ぶりに大幅改正されると、一部で話題になっています。二〇一五年一月に施行された前回の改定内容は、ネットワークによる電子書籍の出版権についてで、出版権は出版社に帰属し、他の事業者が許可なく公衆送信はできないという、出版社の意向に沿うかたちで落ち着いた内容でした。今回二〇一九年一月一日に施行される著作権法改正で、文化庁のホームページをみると、「著作権法の一部を改正する法律(平成三〇年法律第三〇号)について」の表題で四項目の改正の趣旨と概要が記されています。(1)デジタル化・ネットワーク化の進展に対応した柔軟な権利制限規定の整備、(2)教育の情報化に対応した権利制限規定等の整備、(3)障害者の情報アクセス機会の充実に係る権利制限規定の整備、(4)アーカイブの利活用促進に関する権利制限規定の整備等。今回の改正を自分なりに解釈すると、二項目に目がいきます。まず(1)の項目で、ビッグデータ・AI等を活用したサービスにおいては、著作物の利用を許諾なく行えるようにし、現在許諾が必要なものも一部を除き、許諾なしで利用可能にできるようになってしまう内容です。「一部を除き」とは、具体的にどのような状況を指すのでしょうか。(2)は、学校内の授業で、先生が他人の著作物を用いて各々が作成した教材を、生徒のタブレットに送信することは許諾なく行えるようにしてゆく点です。出版の世界が今後、どのようにあつかわれ、巻き込まれてゆくのか、「ガイドライン」が不透明な中、しっかり見届けなければと思うのです。
●『中村政則の歴史学』を一一月に刊行し、全国の小社のお客様・書店様に情報が届き始めています。社内にいると連日注文の電話とファックスが入り驚いています。多くの人に読んでもらえる本になるといいね、と編集者と話しています。少し時間がかかりましたが、編集委員の先生五名が、この本の座標軸を定め、懸命に取り組み、また他の執筆者の先生方を巻き込みながら、「中村政則の研究」を論じています。歴史学への視点、姿勢を知る上で必読の書となっております。
●社業が継続することで、毎年数十人の新しい著者と結びつく、それは社の大きな財産です。一一月末、江戸川にある小社の倉庫に出かけ、溜まった本をセッセと棚詰めしている時、携帯電話が鳴りました。相手は会長の栗原で、髙木侃先生(専修大学名誉教授)の突然の訃報でした。動きが止まり、手につかない仕事を切り上げ自宅へ向かったのです。
 「三行半研究余滴」は、『評論』二〇一二年一月号(一八六号)から「ただ一通、庶民がもちいた花押型」で連載が始まり、途中二〇〇号の記念号を除き、途切れることなく続いてきた好評連載です。髙木先生は江戸時代の離婚研究一筋で、離縁状と縁切寺を研究し続けて五〇年を超えます。収集・整理された離縁状は一三〇〇通を超え、先生ご自身が所蔵するものも二二七通になります。特異で非常に興味をそそる三行半を、写真を掲載し、解説することで、先生の言葉をかりれば、「三行半のワンダーランドに遊んでもらいたい」という思いから始まった企画です。『縁切寺満徳寺史料集』(成文堂、一九七六年)をはじめ、先生の代表作となった『三くだり半──江戸の離婚と女性たち』(平凡社、一九八七年)が世に出たことで「三行半」への注目が集まりました。『縁切寺満徳寺の研究』(成文堂、一九九〇年)、『縁切寺東慶寺史料』(平凡社、一九九七年)、『三くだり半と縁切寺 江戸の離婚を読みなおす』(講談社現代新書、一九九二年)、等数多くの著作物を出版し、「三くだり半」研究の第一人者として活躍されたのです。また二〇一五年に映画化された『駆込み女と駆出し男』(松竹配給)では、縁切寺監修も務められました。
●髙木先生とのお付き合いは長く、栗原の同級生(埼玉県立本庄高校)ということもあり、専修大学法学部を二〇一二年に退職された後も、群馬県館林市の銘菓「三桝屋總本舗」の麦落雁や里みやげ(小茄子の砂糖漬け)を携え来社してくれました。二〇一七年一〇月、約束を果たすとして、『写真で読む三くだり半』を刊行することができました。髙木先生が個人所蔵の中から選りすぐりの約一〇〇通の三くだり半を載せた力作です。上梓したことを大変喜ばれ、わずか二か月後には増刷となったことには髙木先生も驚いていました。
 著者の方々にかけていただいた言葉の中でも、髙木先生が「著者たちはちゃんと見ててくれてるから」と言ってくださった一言が、二年前、軸足がふらつき、心棒に迷いがあった自分にとって、どれだけ励みの言葉であったか。とても感謝しております。『三行半研究余滴』は二三回、『縁切り一筋五〇年』四回、今号をもって終了となります。長きにわたりご寄稿くださり、誠にありがとうございました。
 髙木侃先生のご冥福を社員一同、心よりお祈り申し上げます。 (僅)