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  • PR誌『評論』213号:縁切り一筋五〇年④ 離婚慰謝料・いまむかし

縁切り一筋五〇年④ 離婚慰謝料・いまむかし

髙木 侃

離婚にあたって問題となるのは、子の帰属と財産問題であるが、ここでは離婚における結納金・持参財産の返還と、慰謝料を取り上げる。
現在、離婚における慰謝料は有責配偶者が支払う。つまり、夫婦の有責性(浮気や暴力などの落ち度)を勘案して決定する。一方が一〇〇パーセント悪いということはないと考えられるので、両者の有責性の度合いを秤にかけて(案分して)慰謝料額が決められる。俗な言い方をすれば、現在では、「(より)悪い方が金を出す」ことになる。したがって、ワイドショーなどでは時々「離婚を有利に進める法」などという番組が登場し、そこでは相手の落ち度をその都度メモをしておくように忠告することにもなる。
さて、結納金は、今日では婚姻の成立を条件とする贈与であるとされているので、婚姻成就のときはその返還の問題は起こらない。しかし、江戸時代にあって結納金は返還を要した。
離婚時に、結納金一〇〇両のうち一部しか用意できず、離縁状と同時に残金返還の猶予を願った幕府御用蒔絵師の文書も残っている。川柳に「去状を書くうち質を受けにやり」がある。これは離婚するとき、女房の持参財産を質入れしていたら、受け出して返還しなければならなかったことを詠んでいる。
結納金を詠んだ川柳に「去る時は九十両ではすまぬなり」がある。故杉浦日向子氏はNHKのTV「コメディーお江戸でござる」で、離婚するには九〇両もかかり、江戸の男のほとんどはそんな金がないので、離婚はそう簡単にはできなかった、と解釈された。筆者も後半の江戸の男は女房を簡単には離婚できなかったことには同意するが、九〇両の解釈には異論がある。ほかに「百の口十両ぬけた嫁をとり」があり、持参金一〇〇両のうち一〇両は仲人が手数料として受け取るので、夫は実質的に、九〇両しか受理しないが、離婚のときは額面の一〇〇両を支払わなければならなかったことを詠んだもので、離婚慰謝料を詠んだものではないからである。
ところで、離縁に際して、趣意金あるいは縁切金と称する慰謝料が支払われることがあった。妻が婿を嫌い、慰謝料を支払って別れる事例が多くみられる。妻が夫には申し分(落ち度)はない旨を述べ、その上で離縁を望み、「離別之験として金子百両」という高額な慰謝料を渡した例がある。妻は越後国(新潟県)小千谷で質屋家業を営んでいた女主人であった(ちなみに妻が差し出した離縁状はこれ一通のみ)。
また表題に「詫入申」としたためた離縁状がある。すでに夫は後妻を決めており、妻方が趣意金として二両二分を受け取っている。これは夫が離婚を妻に求めたものであるが、妻がありながら他の女性を妻にすることは当時の社会通念上ゆるされず、表題に「詫入申」を加え、慰謝料を支払わなければならなかった。
持参金出入に関する幕府法では、夫の方から妻を離婚した場合には、持参金は返却しなければならず、逆に妻の方から暇を取った(離婚を請求した)のならば、持参金は夫婦の相対次第(合意)によるべきである、という(むしろ返却されない)。要するに、離婚(離縁)を請求した者が、持参金を放棄しなければならなかった。また持参金がないときは、離婚請求した者が、趣意金・縁切金などと称した離婚慰謝料を支払った。縁切寺への駆け込みは妻(女)からの離婚請求が明白であったから、妻方が慰謝料を支払うことは当然のこととされた。満徳寺の内済事例では「聊」でも、「少々」でも慰謝料を支払った。
つまり離婚請求者が経済的不利益を甘受したのである。俗に言えば、「別れたい方が金を出す」ということであり、これを「離婚請求者支払義務の原則」という。妻の立場からすれば、離婚したいと思えば「持参金の放棄」もしくは「慰謝料の支払」によって、離婚請求が達成できたのである。
こうみると、いつの時代でも離婚問題の多くは、「感情」に始まり最終的には「勘定」で終わる、つまり金銭・財産問題が決着してはじめて解決したことになるのである。
江戸時代は夫婦が別れるのは、どっちもどっちで、有責性を問わなかった。わずか一五〇年の間に物事の正しさは変化した。社会・地域・文化・時代によって社会的正義は異なることの一例である。
[たかぎ ただし/専修大学史編集主幹・太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長]

髙木侃先生は、二〇一八年十一月二十二日にご逝去されました。先生の長年にわたる研究・執筆活動に敬意を表するとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、ご遺族の皆様には心よりお悔やみ申し上げます。