批判統計学の過去と現在

岡部 純一

‘statistics’という用語は、十七世紀後半ドイツで「国家(Staat)理性に関するもの」という意味で登場し、国家を分析するという発想と深く結びついて成立した。統計学史家・上藤一郎氏の最近の一連の研究はその経緯をよく示している。すなわち、確率論を基礎とした数理統計学を主軸に統計学を総合したA・ケトレー(一七九六〜一八七四)によって近代統計学がはじめて確立したとする通説は、統計学史的にも非常に疑わしい。
むしろ、ドイツ社会統計学の創始者G・v・マイヤー(一八四一〜一九二五)が、その主著『統計学と社会理論』〔大橋隆憲が『統計学の本質と方法』(小島書店)として一部訳出〕の冒頭で高らかに宣言したことは、結局、統計学の研究対象は市民社会であり、市民社会の構成員である「社会集団」(Soziale Masse)を観察する意義が、社会科学にとってあまりにも大きいということであった。当時、国勢調査は個人・世帯の集団を観察する統計調査であることが知られていた。今日われわれは経済センサスが企業や事業所を単位とした集団を観察する統計調査であることを知っている。世界各国では社会集団を母集団としたさまざまな標本調査が実施されている。それら社会集団を介して市民社会に関する統計が収集されている。マイヤーは高野岩三郎が直接師事した統計理論家であるだけでなく、日本統計学会(一九三一〜)の創立発起人のひとりでもある蜷川虎三(一八九七〜一九八一)をはじめ、日本の草創期の統計学者に多大な影響を与えた。
蜷川虎三は戦前期に、いわば国家のための統計学ではなく、市民のための批判的な統計学を提言した。これが日本の批判統計学の原型である。私は現在、神奈川県の統計審議会で企業家や主婦を含む広範な市民とともに、県の統計の生産と利用に厳しい注文をつけている。市民による批判的な統計学とは、簡単にいえばそういう政治的な論議である。また、蜷川は社会集団の観察における理論的過程(問題構想とその具体化)を重視することによって「社会科学としての統計学」のパラダイムを提起した。
戦後この批判的な統計学は、社会集団観察(統計生産)の真実性吟味を基礎に統計利用を批判的に研究するパラダイムに発達した。数理統計学は自然科学にも応用される汎用的な統計学であるのに対して、批判統計学は社会科学の一分野として発達した。国民経済計算や産業連関分析などの複雑な加工統計も、このパラダイムのなかで研究された。数理統計学や計量経済学に関しても多くの議論がある。統計制度を統計の真実性問題から一旦切り離して、社会制度として客観的に研究しようという別のパラダイムも提起されたが、統計家は元来リアリズム的志向が強いため、この提案によって統計の真実性研究の意義が低下したわけではなかった。
戦後、多くの左派系統計家がこの批判統計学に結集し政府統計批判を展開した。だが、批判統計学は統計生産の批判的研究に積極的であるため政府統計実務家の「実務統計学」とも部分的に親和性があり、今日でも研究交流がある。戦後、日本統計学会が数理統計学を主軸に発達するなかで、一九五三年に経済統計研究会がスピンオフして批判統計学を継承、一九八五年には経済統計学会と改称した。その後、地方の統計的実践家やジェンダー論研究者など新しいタイプの統計家も参画した。
同様の批判統計学が、一九七〇年代イギリスでRadical Statistics Groupとして成立し、労働運動家や社会活動家など在野の統計家が結集した。それはアカデミズムを拠点とするグループではないが、ブレア政権内で政府統計改革に深く関与した。また、一九九〇年代以降、EUの各国政府統計家の間で、市民に情報公開する統計のクオリティ(quality of data)に関する議論が展開している。そこでは、日本の伝統的な批判統計学の真実性論議と類似の議論が多いが、それをはるかに上回る高度な議論が展開され、世界的に波及している。
私は九月に上梓した『行政記録と統計制度の理論』(日本経済評論社)のなかで、ヨーロッパの統計生産の基盤が実査から(電算化した)行政記録にシフトする状況下で、市民社会を観察対象とする統計ではなく、国家の官僚制的組織を観察対象とする統計が批判統計学の新たな研究対象となる時代が到来するかもしれないと主張した。それは、批判統計学の以上の文脈における新たな問題提起である。
[おかべ じゅんいち/横浜国立大学経済学部教授]