金融再編と地域公益

佐藤政則

一九九〇年代からの金融危機は、普通銀行が激減した一九二〇~四〇年代前半の再来かと思わせるような驚くべき事態の連続であった。信用金庫や信用組合を中心に地域金融機関数の大幅な減少をもたらし、現在に至っても地域金融機能の動揺は続いている。業務提携、経営統合、合併といった金融再編に活路を求める動きは一層強まると思われる。
直面する危機からの再編過程によって、どのような地域金融システムが生みだされるのか、そこにおける新たな問題は何か、考察すべき課題は多岐にわたる。なかでも地域公益を地域金融システムがどう担うのかを問うことは、重要な課題となろう。地域公益とは、地域金融組織が自己認識し、地域社会が期待・認知する公的な使命のことである。
明治以来のほとんどの地域金融組織は、狭隘だが明確な地域公益を意識し認知されて誕生した。しかしその地域公益は、現代の我われが抱くものとは相当な乖離がある。例えば同じく銀行と言っても、特定企業と結びつく機関銀行、地域産業との密接な関係をもつ産地銀行、特定資産家の運用機関である資産家銀行、都市銀行との資本関係をもつ系列銀行など様々なタイプがあった。そこでは、地域性や独自性をもたらす固有のリレーションシップに基づく地域公益が成立していた。繰り返される金融再編は、このリレーションシップを希薄化させ、次第に地域社会全体を包括する地域公益に変えたと考えられる。
この問題は、かつて伊牟田敏充が「重層的金融構造」論で提起した資金社会化政策と重なる(『昭和金融恐慌の構造』二〇〇二年、経済産業調査会、初出は一九七六年)。伊牟田は、加藤俊彦の機関銀行論を戦間期のダイナミズムのなかで捉え直し、私的所有に基づく機関銀行の機関性と資本系統性が銀行合同という資金社会化政策によって再編され、同時に企業規模別分布に対応する銀行間の重層性をも集約したと説いた。しかし私有制だけでは、地域という行動律をもつ地域金融機関を捉えたことにはならないだろう。
他方で近年のリレーションバンキング研究においては、地域金融機関の貸出シェアの高まりが高金利をもたらし利用者の不利益を増進すると懸念を示し、地域公益への関心は薄い(例えば、筒井義郎・植村修一編『リレーションシップバンキングと地域金融』二〇〇七年、日本経済新聞社)。地域金融機関の行動を律するものが地域公益であることは、二〇一八年の新潟県や長崎県における地方銀行の経営統合が示した通りである。それを歴史的にも検証する必要が生じている。
つまり、地域金融組織が直接的リレーションシップを乗り超え、地域公益に寄与する金融機関へと変容していく長期のプロセスを問うことであり、地域公益の視点から金融再編そのものを考察することである。
二〇世紀日本という一〇〇年のスパンで、この問題を考えた場合、一九三〇年代後半から五〇年代前半、すなわち戦時期、占領期、復興期の二〇年間が分岐点となろう。豊富な蓄積をもつこれまでの研究もここに着目してきた。例えば、地方銀行の場合では一県一行の遂行、無尽会社では一九五一年相互銀行法に基づく相銀転換、信用組合では一九五一年信用金庫法に依る信金への改組である。もちろんこれらは重要な画期であるが、決して終着点ではない。むしろ地域金融機関としての模索の始まりと言える。
そのさい、戦前以来の延長線と併せて、一方では敗戦直後のハイパーインフレ、農地改革、金融機関再建整備等々を通じて戦前のリレーションシップが清算されたこと、他方では東西冷戦の開始による占領政策の転換、朝鮮戦争の勃発、講和条約締結等々の情勢変化によって地域金融制度の再編が促されたことに留意せねばならない(詳しくは浅井良夫『戦後改革と民主主義』二〇〇一年、吉川弘文館を参照)。
一県一行という地域独占の銀行が歴史上初めて誕生し、行動規範の構築が始まる。地域名を冠した相互銀行や信用金庫の多くが、あたかも地方銀行のように地域住民、地元中小企業、地方自治体と初めて包括的に向き合うのである。もっとも事態は今少し複雑であった。一県一行の地方銀行とともに一県複数行も併存していた。地方銀行が存在しない地域あるいは全域をカバーできる有力地銀が存在しない地域(東京都、大阪府、愛知県、兵庫県)もあった。とくに後者の大都市域における地域金融機能は、相互銀行や信用金庫だけではなく、都市銀行支店も担うことになる。
例えば、東京多摩地区をみると、戦前には地域公益を担う銀行が活動していたが、戦間期から戦時期にかけて一行を残し都市銀行に合併された。これにより現在では非常に複雑な地域金融状況を呈している。第一に、多摩地区における中小企業がメインの取引先と認識する金融機関を業態別にとると、信用金庫とメガバンク(都市銀行)のシェアが拮抗している(二〇一二年)。第二に、多摩地区二六市の指定金融機関(二〇一四年四月一日現在)をみると、八王子市や立川市をはじめ一二市がメガバンクを、七市がりそな銀行を指定している。つまり、地元企業の支持や自治体の信頼を受けるメガバンクや都市銀行は、あたかも地域金融機関の如き存在と言えるのである。
こうした複雑な状況を腑分けしつつ地域金融機関としての形成プロセスを解明するには、金融制度・政策、地域経済・金融構造、地域社会等々からの多面的なアプローチが不可欠であるが、それらすべてを体現していると考えられる金融機関経営者(バンカー)の思想と行動に着目することは有効であろう。
この観点から編まれたのが、伊藤正直・佐藤政則・杉山和雄編著『戦後の地域金融──バンカーたちの挑戦』(近刊、日本経済評論社、A5判、三五二頁、予価四六〇〇円)である。同書は、戦後、再出発した地方銀行、相互銀行、信用金庫が、どのように地域公益を担う金融機関へと変容してきたのか、それを牽引した全国五六名のバンカーたちから捉えようとしている。いわば、個性豊かな五六の戦後地域金融史でもある。
全国的、広域的な動向をしっかりと見据えながら、個々を丁寧に描き、地域公益と金融機関との相互的変容を考察する、そういう戦前から戦後へと踏み込んだ歴史研究が、今後ますます求められるであろう。
[さとう まさのり/麗澤大学教授]