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縁切り一筋五〇年③ 落語『駆け込み寺』──柳家小満ん師匠を聴く(二・完)

髙木 侃

五代目春風亭柳朝師匠が持ちネタにしていた落語『駆け込み寺』はほとんど演じられることはないが、現在、柳家小満ん師匠のみが噺されているようである。伺ったところ、小満ん師匠が「駆け込み寺」を口演するようになったのは、新宿末広亭の席亭(社長)に勧められたからという。柳朝師匠の持ちネタ「駆け込み寺」は新作だったと思われるが、柳朝師匠の作なのか、公募作なのか、その間の事情はわからない(ご教示を乞う)。
小満ん師匠の芸歴は、昭和一七(一九四二)年二月生まれ。高校卒業の年にあたる昭和三六年、一八歳で、八代目桂文楽に入門したことに始まる。前座名は桂小勇、同四〇年二ツ目昇進、同四六年文楽没後、五代目柳家小さん門下へ、同五〇年真打昇進、三代目「柳家小満ん」を襲名。落語界の長老で、ネタも多く、現在、小満ん師匠の胸を借りる若手精鋭連などを催し、後進の育成にも余念がない。
さて、本題に入りましょう。縁切寺へ駆け込むのは夫婦の諍い、すなわち、夫婦喧嘩が始まり。この話の夫婦も御多分に漏れず。夕べ親方の集まりで泥酔して帰った亭主が翌朝女房にたたき起こされて、

「お前さん、夕んべ、どこで浮気して来たンだい」
「何を云ってやンでい馬鹿、……俺が浮気なンぞする訳がねえじゃねえか」
「そんな事があるもンかい、あたしの目は節穴じゃないンだ、……普段三尺しか締めてねえから、角帯はうまく締めらンないツてンで、あたしに締めさして出かけただろう、帰って来た時に見たら結び方が違っていたよ、……一体全体、どこで帯を解いたンだい、さア正直にお云い、正直に」

これで大喧嘩。女房はどうせ根津(岡場所)にでも行ったに違いない、「悔しい」と亭主の胸倉へ武者振りつく。亭主はこれを振り解き、ポカポカ殴る、物は投げる騒ぎ、女房はもうこんな家には居られないと、出て行くと叫ぶ、売り言葉に買い言葉、どこへでも出て行けとなる。女房は出て行くが、普段なら町内を一廻りして帰って来るのに今日はやけに遅い。そういえば、いざって時は、相談するとこがあるとか言っていたが、どこだったか、そうだ「いざ鎌倉だ、鎌倉々々」。
通りがかった大家がそれを聞きつけ、「いざ鎌倉って飛び出したのは、穏やかじゃない、鎌倉には松ヶ岡の東慶寺ってえ尼寺があって、そこへ駆け込むと、離縁になるんだ」。もともと惚れあって結ばれた仲なら、駆け込む前に連れ戻せと、そこで亭主の三吉は尻っ端折りで飛び出して行く。
今度は女房が帰ってくる。いつもは直ぐ帰るのに兄さんの処で話し込んで遅くなったのだが、兄さんからは「あんなサッパリした、いい亭主は滅多にいない。早く帰って謝れ」と諭され、戻ってみると亭主がいない。どうしたのかと近所のかみさんと話しているうちに、半刻ほど前に血相を変えた三吉さんに会ったが、「鎌倉だ、鎌倉だ」とうなされながら行っちゃった。そりゃ大変、鎌倉には何とかという夫婦別れのお寺がある(花札の青丹にちなんで松ヶ岡と東慶寺を思い出す下りも落語的で面白いが、省略)。女房は駕籠をしつらえ、急いで夫を追っかける。
一方、亭主は東慶寺に着いたものの、門番にこの寺は「男の来るところではない」と追い払われる。それでも渋皮の剥けた乙な女が飛び込みませんでしたかと聞くと、最前駆け込んだと聞かされ、あんないい嬶はいねえとしょげているところへ女房が駕籠で到着。いろいろあったが、夫婦仲直り。亭主は喧嘩などせず、女房を大事にすると約束をするという。そこで夫婦は互いにのろけあう。
 
「何を、その方どもはそこでつまらんことを申しておる。左様な話は家へ帰ってからしたらいいだろ」
「あら嫌だ、ご門番さんたら焼き餅妬いてるよ。しかしなんだね、でも善かったねえ、あたしゃお前さんに会ってほっとしたら、急にお腹がすいちまったねえ」
「そう言われてみると、俺も朝飯食わねえで、駆け出してきたから、腹が減って目が廻りそうだよ」
「何、その方どもはそろいもそろって空腹であるか、だったらこの寺へ駆ツ込まずに、前の茶店へ行って、茶漬けでも掻(駆)っこんだらいいだろう」

直接「縁切寺」を題材にした落語があったのである。
[たかぎ ただし/専修大学史編集主幹・太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長]