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  • PR誌『評論』211号:「ニューディール」再考その④ 「ニューディール」再考その④ ニューディールとケインズ

「ニューディール」再考その④ 「ニューディール」再考その④ ニューディールとケインズ

西川 純子

ヘンダーソンがまとめ、ホプキンズが大統領に届けた二つの提言は、ニューディールが二度目の不況をなぜ防げなかったかという反省にもとづいていた。
 ケインズの影響
提言の第一は、財政政策について発想の転換が必要なことを訴えていた。景気の回復にとって重要なのは、呼び水としての一時的な財政支出ではなく、国庫から持続的に支出する大規模な補助金である。そのために必要な資金は政府発行の国債でまかなえばよい。結果として経済が好況に転ずれば、財政均衡はおのずと回復するはずである。この提言は、明らかにJ・M・ケインズの主張に沿っていた。
ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』を出版したのは一九三六年のことだが、アメリカでこの本が多くの読者を獲得したのは、一年後の三七年、恐慌の再来かと思われる経済の落ち込みにニューディーラーが自信を失い始めた頃であった。ワシントンでこの難解な書物をいち早く読みこなしたのはカリーとホワイトである。
連邦準備局にいて金融政策と最も近い立場にあったカリーが、利子率と準備金の操作よりも財政政策を優先させたのは、景気回復策として金融政策は財政政策ほどに効果をもたないとケインズが主張していたためである。幸い、連邦準備局総裁のエクルズは、ケインズなど読んだこともないのに公的資金の投入に積極的であった。
ホワイトは正面切ってモーゲンソーに楯突くことはしなかったが、財政均衡のためにまずは経済の回復が必要であると説いて、増税や歳費縮減に消極的な姿勢を示した。
 ケインズとの違い 
公的資金は闇雲に増やせばよいわけではない。それによって有効需要を創出し、完全雇用を実現するためには、資金の投入先を見極めなければならない。ケインズは鉄道と公益事業と住宅建設を示唆したが、アメリカでは事情が異なる。鉄道はすでに斜陽産業だったし、公益事業は圧倒的に私的資本の支配下にあった。有効な財政政策を行うためにカリーが頼ったのは、全国資源委員会(NRC)である。
NRCは経済復興のための産業計画を立案する行政機関である。ここでは、ミーンズが一つの結論に到達していた。ニューディールは、資本・労働・消費の三者協調主義を脱して独占的産業企業の規制に踏み切るべきだというのである。規制とは、独占を解体して競争的市場を復元しようとする反トラスト政策とは異なり、独占企業から価格を管理する機能を奪いとることである。
ミーンズの議論が試される機会は一九三七年四月にやってきた。大統領の同意のもとにNRCに産業委員会が設けられ、特に経済に明るいニューディーラーを選んで、所得と消費の問題を中心に政策につながる議論をさせることになったのである。呼び集められたのは八人、そこにはミーンズのほか、ルービン、ヘンダーソン、カリー、そしてホワイトが名を連ねていた。
産業委員会では議論が百出した。ルービンは生産を抑えて価格の維持をはかる農業調整法(AAA)に反対であった。生産は多いほどよい。政府のなすべきことは生産と価格の管理ではなく、生産に見合う消費力を作り出すことであり、そのために国家が主導して一元的な社会保障の制度を作らなければならないと、彼は主張した。
ヘンダーソンは消費が増えない理由として、産業と金融など一部に富が偏在している状況を指摘した。これを是正して富の公平な分配を実現するのは果たして財政政策だろうか、というのが彼の疑問であった。
第二の提言が産業委員会の議論をもとに作られたことは間違いない。それは具体的な政策を挙げてはいなかったが、ニューディール政策の根本的な見直しを迫っていた。そのために一九一二年のプジョー委員会に匹敵するような調査と公聴会を行うことを提案したのである。
二つの提言は別々のようでありながら、実は密接につながっていた。ケインズはニューディールを評して、経済復興に改革は不必要であると述べたが、ニューディーラーは制度の改変なしにケインズ政策の成功はおぼつかないと考えた。ケインズとの違いは大きい。
二つの提言を受け取った大統領がワシントン行きの汽車に乗ったのは三八年四月の初めであった。途中でアトランタから一行に加わったコーエンの手には、コーコランと共に作成した大統領の提案文書が用意されていた。四月一四日、大統領は財政政策の転換を表明し、二九日に臨時全国経済調査委員会(TNEC)の設置を告げた。
[にしかわ じゅんこ/獨協大学名誉教授]