大塚久雄の座標軸

梅津 順一

このほど、2016年11月19日に行われた大塚久雄没後20年記念シンポジウムを基にして、梅津順一・小野塚知二編著『大塚久雄から資本主義と共同体を考える』(日本経済評論社、本体3000円)が刊行されました。1907年に生まれ1996年に没した大塚の享年は89歳、ほぼ20世紀を生き抜いた経済史家といえます。同じ年に丸山眞男が没しており、戦後社会科学をリードした二人の巨星墜つと、当時話題になりました。
先日、今年90歳を迎えたある老婦人と話すことがありましたが、「どうしてこんな時代になったのでしょうかね」との一言が心に残りました。今年90歳、ということは18歳で終戦を迎えた年代、敗戦で焦土化した東京を知り、しかし、軍国教育から解放されて、戦後の自由と人権をみずみずしい感覚で受け止めた世代。経済停滞とはいえ、それなりの豊かさのなかで、何かが失われていることを口にされたのでした。
大塚久雄の経済史研究は、戦後の日本に世界を見る座標軸を与えるものでした。伝統日本と近代日本、西洋社会とアジア、世界宗教の意味など、基本問題を平易に語り、多くの人々に示唆を与えました。たとえば、戦後すぐに発表された「自由主義に先立つもの」は、「自由」が「束縛からの解放」としてのみ受け取られては、自由を活かすことにはならないと指摘しています。自由には、エゴイズムの自由もあり得るからです。そこで取り上げられたのが、17世紀オランダの伝説的な商人ベイラントでした。
スペインの圧政からの独立戦争のさなか、アムステルダムの貿易商ベイラントは公然と敵軍に武器弾薬を供給し続けたのでした。そのことを非難されても、彼は「商売で利潤を得るのに地獄へ船を乗り入れる必要があるというのなら、たとえその火で帆が焼け焦げたって俺は勇ましくやるだろう」と、昂然と言い放ったのです。ベイラントは自分の利益のためなら、公共の福祉を平然と無視して恥じない商人だったのです。
大塚の経済史研究は、前近代社会では独占や投機によって民衆の利益を省みない、自己の利益追求が横行していたこと、近代の自由は、こうしたエゴイズム的自由を抑圧して発生したことを跡づけるものでした。近代の自由は生産者である勤労民衆の自由であり、「正直は最良の政策」が通用する社会であって、政治的特権に結びついた経済活動の抑圧の上に発生したものだったのです。また、この近代的自由はプロテスタンティズムの中で、基礎づけられたことも強調されました。
ここに大塚が与えた座標軸の原点があります。高度成長の時代には、大塚は国内市場とバランスの取れた産業構造を基礎とする国民経済を提唱しています。輸出市場優先の貿易立国論を批判し、経済的自立と政治的独立を重視したわけです。高度成長後には、巨大な機構と化した管理社会に「意味喪失の時代」という視点を与えました。さまざまな分野における形式合理性の追求によって、実質的な意味が失われていることを指摘したのです。では、いかにして意味が回復されるのか。これは、現代社会の隠れた宗教的次元を示唆するものでした。
大塚没後の世界は、グローバリズムと新自由主義の時代といえるかも知れません。大塚の座標軸からすれば、自由とは誰の自由なのか、グローバル市場、グローバルなネットワークは、民衆の世界とは乖離した世界ではないのか。エリートと民衆の経済的な格差が広がり、情報の格差、知識の格差が巨大化しつつあることはないのか。
大塚が晩年指摘した形式合理的思考の落とし穴は、今日さらに拡大しつつあります。学校や大学も、会社企業の評価の手法で評価されるようになり、学校・大学のランキングも作成されています。情報や数値化される知識が独り歩きする社会が、どのような帰結をもたらすか。グローバル社会の画一化と多様性の尊重は、どのように調和させることができるのか。
シンポジウムでは、大塚久雄の座標軸の今日的意味が問われました。記念論集の表題にある「資本主義」も「共同体」も、今日では積極的に使われるキーワードではありません。「資本主義」は自由経済や市場経済と語られ、「共同体」は地域社会や親密性、人間関係として語られるからです。しかし、「資本主義」と「共同体」は、現代と歴史を結ぶことばであり、今日新たな座標軸を手に入れようとするとき、有益な示唆を与える言葉なのです。
[うめつ じゅんいち/青山学院院長]