金融危機は避けられないのか

青木 達彦

リーマンショックからの回復過程は(「大恐慌」に続く、第二次)「大収縮(the Great Contraction)」とも呼ばれ、長期間を要した。この事情が米経済の拡大過程が2009年7月から戦後最長を記録(9年目)していることを説明する。この拡大過程の特徴は主要国の超金融緩和策にあり、これが緩慢な景気実体面と金融循環あるいは信用ブームとの間に乖離を生み出してきた。量的緩和によって投資など実体面に十全な効果を及ぼしえなかった分は金融市場に流れ込むのであり、株価を引き上げ、あるいはリスク資産の保有を増大させて信用スプレッドを(ファンダメンタルズ以上に)縮小してきた。こうしてファンダメンタルズと価格とのリンクが弱まった。しかしそれでも今、欧州経済が成長を続け、世界経済の回復もあって緩和縮小の動きが進む中、米経済は好調な企業収益を享受し株価は最高値を維持し、日本でも日経平均株価が1992年1月以来、約26年ぶりの水準を回復した。
しかし、そうした堅調に見える経済が微妙な危ういバランスの上に立脚していることも、つとに指摘されてきた。システミックリスクにも通じる可能性は、たとえば2013年にバーナンキ(前)FRB議長が量的緩和を縮小する方針を示した際、米国の長期金利が急上昇し、金融市場に混乱が起きたこと(「バーナンキ・ショック」)からも窺える。そのゆえに、イエレンFRB議長は最高値を更新する米国株式相場について、巨額の緩和マネーが一部業種(ソーシャルメディアやバイオ関連)の株価を実体以上に押し上げた恐れが強いとの懸念を2014年段階から表明してきた。米経済が立脚する危ういバランスはミンスキーの言う「金融システムの安定領域の狭隘化」であり、ちょっとしたことで生じた計画のずれが契機となって急激な金融的反作用が生起しかねない事態である。
米経済については次のようなリスク要因が指摘されてきた。商業用不動産価格がすでに金融危機前の水準を超え、割高の領域に達していること。そして不動産市場におけるバブルの芽は世界の各所で広くみられる。信用格付けの低い企業の社債(ハイイールド社債)の(国債利回りとの)スプレッドが歴史的な低水準となっている。新興国の債券についても、そのスプレッドは同様に歴史的な低水準にあり、米金利の上昇やドル高の進行により借り換えに苦しむ新興国企業の増加が懸念される。債券のみならず、低格付けの企業に短期融資を行うレバレッジドローンの増大も顕著である。自動車販売の堅調さは信用履歴に問題のあるサブプライム層へのローンに依存している。これと並んで学生ローンやクレジットローンの増加も顕著であり、ともに低所得者向けの比率が高いものである。以上に挙げたリスク要因は、ラインハート&ロゴフが2009年の著名な本で、金融危機の共通特性とした「過剰な債務の累積とバブルの形成」に該当する。  
しかしラインハートらがあわせて指摘したのは次の点である。どの危機もそれぞれに固有の相貌を持っていることで、そのため危機到来の度ごとに、「今回は危機にはつながらない(this time is different)」との思い込みに導かれてきた。そこで以下では、先の危機と異なる側面──「今回は危機に至らないだろう」と思わせる側面──について触れ、しかしそれにもかかわらず、危機が別の相貌をもって立ち現れるとすればその固有性はどこにあるかに触れよう。
先のグローバル金融危機が、その端緒となったサブプライム信用危機が、米国住宅金融において「マイナーな存在」であったにもかかわらず、グローバルに、しかも実体経済にも深刻な影響を及ぼしたのは、サブプライムローンが資産担保証券として「証券化」され──短期ホールセールファンディングにおいて担保として用いられたことも含め──複雑精緻な金融ネットワークに組み込まれたことにある。
しかし今回の景気拡大局面で、(自動車版)サブプライムローンを含めた証券化が持つ位置づけは限定的である。FRBの資金循環勘定で、資産担保証券発行者がその発行のために信用市場において負う負債残高は、2007年のピーク(4兆5345億ドル)から一貫して低下し、2017年第24半期末で1兆1749億ドルまで落ちている。証券化商品はもはや世界中の主要金融機関の投資対象ではないのである。加えて指摘されるのは、先の危機を顕著に特徴づけた高レバレッジと満期変換のリスクがボルカー・ルールや「流動性規制」、「レバレッジ規制」等の規制強化によって対処され、金融システムが強靭にされていることがある。このことが(FRBの次期副議長候補とも噂される)独保険大手アリアンツの首席経済顧問エラリアンをして次のように述べさせた。
銀行部門は、高リスクな活動範囲を縮小し、無謀な行動をとれなくさせられ、その内部からはそれだけシステミックリスクの震源になることを免れる。しかしそれと表裏して、同様の監督・規制基準が適用されないノンバンクの活動が新たな金融ディストレスの源として立ち現れる、と。実際、銀行は格付けが低い会社へ融資した後、規制強化でリスク資産の保有のコストが高いことから、その債権を売却するケースが多いが、そうした債権を購入し、最終的な投資家となっているのは、規制の緩い投資信託や年金ファンドであり、量的緩和の「申し子」と言われるヘッジファンドである。しかも、ノンバンクの市場参加者についてはそれら機関間の、その活動と相互連関性が不透明なままに残っているという問題がある。加えて「ノンバンクの一部は現在、新興国の社債のような一部の商品について、顧客に過剰な約束をするというリスクをおかしている」(エラリアン)との指摘がある。それは中国の「影の銀行」を成す「理財商品」についても言えることで、今後規制によって理財商品の償還の確実性が失われるとき、デフォルト発生の増加を通じて、企業の資金繰り悪化、流動性リスクの顕現化がインターバンク市場を介して金融機関の間で拡散する可能性を否定できない。ここに規制の緩い「ノンバンク」において過度なリスクが積まれ、それを震源として直接、間接の伝染を容れた相互連関性がシステミックリスクの源になりうる。ミンスキーは規制の緩い「周辺的」金融組織を震源として階層間のつながりを通じたシステミックリスク理解を持っていたことが留意される。
[あおき たつひこ/信州大学元教授]