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  • PR誌『評論』173号:大門正克著『戦争と戦後を生きる──1930年代から1955年』を読んで

大門正克著『戦争と戦後を生きる──1930年代から1955年』を読んで

山田晃弘

 生きることが〈必死の時代〉があった。それは、いつの時代でも同じとも言えるが、〈しかし〉である。本書の歴史的世界は国家が国家として民衆=生活者の眼前に立ちはだかり、〈生殺与奪の権〉をわがものとした時期であり、日本の30年代から55年代は戦争と戦後の、まさに〈生きる〉ことに〈必死〉の激動の時代であった。それは「生存の仕組みが大きく変わった時代」の到来でもある。
 著者大門氏はこの歴史的転換を、〈生と死〉の狭間を生き抜いた庶民の生き様を、労苦の多いオーラルヒストリーの手法を駆使して、「私は経験の記録を読み解くとともに、経験を語る声に耳を傾けたい」と述べ、「この時代における矛盾の結節点の意味を考えたい」と真摯に読者に語りかける。この視座は本誌『評論』連載されたエッセー「歴史への問い/現在への問い」・「2005年 冬 神戸」(のちに単著の『歴史への問い/現在への問い』に収録されている)でのスタイルの発展継承でもある。この中で時代に向き合いながらの方法論の模索は「拠点をもつことに徹底してこだわることであった」と記している。永いスパンで問い、対話する厳しい姿勢は〈国家と民衆〉の相対化に腐心されている苦労が行間から読みとれる。
 また本書を一読いただければ、著者の説得力のある〈研鑽の力技〉に引き込まれるだろうし、〈聞き書き〉した人物語りは変化する日常に向かい合い、〈しなやか〉に生きた〈人生讃歌〉でもあると言えよう。
 当然のことではあるが、本書は通史叙述では個別研究の最新成果を吸収されている。その中で現在への状況にも通じる、昭和恐慌期の場面での「親子心中と高い乳幼児死亡率」の箇所が「発見」と読めた。それは2年間に429件の親子心中が記録され」、「平均して3日1回」、「流行の感さえあった」として「……村や名望家が人びとの生存を維持する仕組みが、最終的に解体する時期にさしかかっていたことを教え」ると述べ、「乳幼児死亡率が高いのは農村」、「農家の女性ほど農業労働負担が大きく、それが乳幼児死亡の原因となっていた」と指摘している。それと、戦後の「四人の終戦」は読み応えがあった。特に「生存のぎりぎりの淵で性の危険に追い込まれたとき、「商売」の女性たちに抑圧と犠牲が委譲された。その委譲の背後には、性をめぐる「商売」女性と「一般」の女性のダブルスタンダードがあったのではないか。生存の極限に置かれたときの行動に対する問いは、私のなかで、まだ十分解決されていない」と心情を吐露されている。
 著作の全編にみなぎる誠実な思いは、直截な表現となり興趣はつきない。彫琢の名文と拝読した。
大門さんの歴史学は本書のきめ細やかな叙述スタイルからも十分解るし、「己れを律するにきわめて厳しく、しかも他人には思いやりのある人──ちかごろはその反対に、自分には甘く、もっぱら他人断罪が専門の、パリサイの徒がますますふえたように思われますが」(吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』岩波文庫に付載の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」)の丸山真男氏が吉野源三郎氏を頌え、綴った珠玉の文章が思い出され、私の中の大門人物像もまさにしかりと想起できた。博聞強記でいつでも会話の中心にいて、周囲を優しく包み込む人である。
 大門史学のこれまでの著作の足跡を追うと、研究のスタンスは、農村・都市の生活者の意識分析の作品群(『近代日本と農村社会』、『民衆の教育経験』)、方法論への模索とその提言としての研究史・史学史への探求群(『歴史への問い/現在への問い』、編著『昭和史論争を問う』)がある。そして本書のような問題提起の時代通史の仕事にと結実している。それ故にどの研究も足もとをしっかりと固めながらの確実な仕事は安心して読むことが出来る。
 次作は、是非とも個人史に徹底してこだわった〈入門オーラルヒストリー学〉の新しい構想の刊行を密かに期待している。
(『全集 日本の歴史第一五巻』小学館、2009年3月刊)                                         [やまだ あきひろ/校倉書房]