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「母子世帯の居住貧困」の現状と展望

葛西 リサ

本書は過去20年間にも及ぶフィールドワークの集大成である。
恩師から手渡されたシングルマザーの住まいに関する海外文献に触発され、日本では未開拓であった「母子世帯の住宅問題研究」という領域に足を踏み入れることになったのは、たしか修士課程二年の夏ごろだった。日本の母子世帯はどんな住宅に住み、そこでどのような生活をしているのだろうか。そんな単純な疑問からスタートした研究だった。しかし、その回答にたどり着くには相当の時間と苦労を要した。
意外と思われるだろうが、母子世帯の住宅事情が把握できる官庁統計はほとんどない。現存するものも限定された内容でどれも断片的。とにかく手に入るデータをかき集め、つなぎ合わせて実態を整理する。それをベースに独自のインタビュー調査やアンケート調査で内容を補強するという手法で研究を進めてきた。
インタビューに際しては、できる限り自宅に足を運ばせてもらった。「狭くて足の踏み場もないので」と渋るママさんに「私が見たいのはまさにそこ!」と食い下がる。住宅の質は数字で評価することが難しい。居住面積水準にかんする指標はあるが、それ以外の質、たとえば、老朽度を測る指標はないのだ。だからこそ現場を見る必要がある。「動くたびにミシミシと音がする」、「壁が崩れてきている」、「床が傾いている」など、実際に目の当たりにすると、ことの深刻さがよりリアルに伝わってくる。
所得の低い母子世帯である。そんな低質な住宅ですら確保には相当の苦労を伴う。わずかな貯蓄を切り崩す、なかには、借金をした事例もあった。更に、保証人が立てられない、転居費用が準備できない。母子というだけで不動産業者から冷遇される。子を抱えながら行き場がないという状況がどれほどの恐怖か。その過酷な状況を知るにつれ、解決策を提示しなければという使命感に燃えた。
調査開始から数年は良質でアフォーダブルな住宅(ハコ)を数多く提供することで彼女らの住宅問題はおおよそ解決するだろうと高をくくっていた。しかし、ことはそう単純ではなかった。
住まいの選定にはもちろん立地が強く影響する。アンケート調査では、立地選択のほとんどが「育児支援を得るため」であることがわかった。公的保育のほころびを補うため、親類などのいる地域に居を求め、その周辺にて就労を確保する。この特殊な居住地選考こそが、住まいや就労の選択を制限し、彼女らを住生活貧困に陥れている一因だったのである。
インタビュー調査で何度も言われた言葉がある。「良質な住宅があっても、条件のよい職があっても、育児の支援がなければ生活は成り立ちません」。
これを聞いた当時、それは、保育や就労の領域の話であり、住宅分野の仕事ではないと切り捨てた。しかし、問題の根っ子はまさにそこにあったと気づく。母子世帯をめぐる諸制度は、母子世帯の自立にとって不可欠な要素がまばらにそして縦割りに羅列されるに留まっている。それがゆえ、どれも使えないものになっているのだ。ならば、住宅を軸に欠かせない生活インフラを総合的に整備することで、彼女らの居住貧困、ひいては、経済的貧困までもが緩和されるのではないか。本書は、住まいという視点から母子世帯の居住貧困はもちろん、経済的貧困に対峙し、住生活を軸とした母子世帯施策の再構築に迫るというややチャレンジングな内容を含んでいるが、それは、上記のようなエビデンスに基づくものである。
終章では、母子世帯の自立を促す居住支援の一方策として、育児や家事の助け合いが期待できるシェアハウスの可能性を提示した。ここ数年、子どもの貧困が話題になったこと、更に空き家の増大が社会問題化したことにより、この「シェア」という住まい方に注目が集まっている。2017年より、国交省は、空き家活用型のシェアハウスをセーフティネット住宅として明確に位置づける方針を示し、そのターゲットとして母子世帯を含めた。住まいにケアやコミュニティを付帯させることの必要性に国が着目したという点は評価できるが、「シェア」という住まい方はまだまだ課題も多い。母子世帯をエンドユーザーとして扱う上での課題や注意点は何か。本書では可能な限り、それらの点を整理したつもりである。貧困問題や住宅問題に携わる研究者や実務家、行政関係者など、幅広い分野の方にその内容を活かしていただければ幸いである。
[くずにし りさ/日本学術振興会特別研究員]