柳澤悠氏を悼む

水島 司

2015年4月、柳澤悠氏が逝去された。享年70。この数年間、矢継ぎ早に重要な業績を出され、まさに脂ののりきった時点での惜しんでも惜しみ足りない死であった。 東京大学経済学部・同大学院を修了された頃の氏は、インド綿業・日印会商問題などを中心に、アジアの経済問題に取り組まれていた。インド省文書館での資料調査を基に、植民地支配下のインドの手織業のしたたかな生き残りに注目され、「インド在来織物業の再編成とその諸形態」(『アジア経済』1971年、第72号)を発表された。 氏の研究が大きな転機を迎えたのは、70年代末から故原忠彦アジア・アフリカ言語文化研究所教授が組織された「南アジアの大河流域における農村社会の研究」プロジェクトへの参加だった。南インドで実施された調査で、氏はアッパドゥライ村という灌漑米作村に住み込み、同村の長期的変化について、数か月を超える聞き取りと資料調査を実施された。この調査を起点として、『南インド社会経済史研究 下層民の自立化と農村社会変動』(東京大学出版会、1991年)をはじめ、A Century of Change: Caste and Irrigated Lands in Tamilnadu, 1860s to 1970s (Manohar 1996)、最後の大著で2014年度「国際開発研究大来賞」受賞の『現代インド経済 発展の淵源・軌跡・展望』(名古屋大学出版会、2014年)などの著書や論文を発表された。 これらの研究で、繰り返し氏が取り上げたのは、下層民の自立過程であった。植民地支配期に、「不可触」という語で象徴される差別を受けた不可触民は、氏が調査した村とその周辺で20世紀初めから注目すべき社会運動を起こし、さらにはわずかずつではあるが農地を獲得してきた。不可触民の台頭を裏付けようと、私と共に100村以上の土地台帳の電算機処理に取り組んだ氏は、出始めたばかりのパソコンに自らソフトを組んで処理を進め、多くの村で不可触民が土地を獲得していった事実を明らかにした。氏はその後四半世紀を経てこの村落を再調査され、不可触民の動きだけではなく、村内の各階層の教育、農外雇用、消費、都市との連関などについての情報を集め、近年のインドの動向に関する理解について確信を深められたように思う。 こうした研究のひとつの集大成が、先に紹介した『現代インド経済』であった。そこでは、インドの近年の経済発展が1991年に始まる経済開放政策を起点とするという通説に対して、離陸への動きは80年代から既に顕著であり、さらには、19世紀末からの農業生産の発展までその起源を遡りうるとして、より長期的な変化の中に現在を位置づけることを求めた。さまざまな議論が同書で展開されているが、真骨頂は、現在の発展の基盤を、農村部、とりわけ農村下層の人々の経済的台頭と農村部での消費の増大に求めている点である。近年消費の担い手として注目される都市中間層に農村大衆を対置し、後者の消費こそがインド経済の発展を支えているという氏の主張は、氏の村落研究の実感に根ざす。また、「農村‐都市インフォーマル部門経済生活圏」という概念を提示し、農村部の低教育・低賃金・不定期移民労働者が都市部の低技術・低賃金・低コストのインフォーマル部分の労働者として雇用され、そこで生産される見栄えだけの低品質の製品──これを偽ブランド製品と名付けている──が消費される循環が成立する空間こそが近年のインド経済の発展を左右していると説く。 この大著の執筆に前後して、氏と私は大型の科研費「インド農村の長期変動」プロジェクトに取り組み、『激動のインド 第4巻 農業と農村』(日本経済評論社、2014年)および『現代インド 第1巻 溶融する都市・農村』(東京大学出版会、2015年)を共に編纂した。それらにおいて、氏は、インドの経済発展に関して、結論として悲観的な議論を展開する。インドの経済格差は中国と較べても大きい。さらに大きな問題は、階層間の格差が非流動的であり、農村での地主と農業労働者、あるいは上位カーストと下位カーストというような格差が、そのまま都市就業での格差構造へと移行し、大企業・中小企業、フォーマル・インフォーマル部門、同じ職場での上級職・下級職と固定的に分別されることにある。残念ながら、この格差は経済発展を経ても基本的には維持されてきた。 大きな格差を抱えながらも経済発展が継続するのであれば、生活の底上げも実現されるであろう。であれば、格差自体の存続は資本主義社会の業として仕方がないことかもしれない。しかし、氏は、そうではないと言う。インドの経済発展が前述の「疑似ブランド品」、つまり低品質で価格のみ安い商品が、低賃金で雇用の不安定な労働者の消費需要を満たす形で経済発展を率いてきたという事実そのものが、今後の経済発展の大きな制約要因になるからである。 かつてのインドは、極端な保護の下での輸入代替政策を推し進め、そのことが高コストで低品質の、国際的な競争力の無い産業を育ててしまった。それに対し、近年のインド経済は、上述の「農村‐都市インフォーマル部門経済生活圏」での消費に支えられて発展を遂げてきた。しかし、そのことが、技術水準や商品の品質の向上、産業構造の高度化の速度を極めて遅いままで推移させる。 80年代からの輸出拡大を牽引してきたアパレル部門についても、その主体となった小規模・零細工業の担い手は、安価で流動的で熟練度の低い低学歴の労働者である。そして、かれらの技術向上を図る制度はない。安価な労働力を酷使して低価格市場を席巻したとしても、長期雇用労働者を企業内での技術形成システムで技術向上をさせシェアを拡大させている中国に対抗しうる力はない。管理層と労働者層の大きな格差と断絶は、労働者の仕事へのコミットメントを大きく弱めている。全体として、インドの経済発展に大きな展望はない。 これが氏の展望である。その背後に、下層の人々の経済的向上こそが、経済全体を活性化させ、人々の幸福と社会の繁栄を導くのだという氏の確信がある。 50年近い歳月をインド研究に、とりわけ下層の人々に捧げた柳澤氏の死去は、インド研究者にとってだけではなく、インドにとって大きな損失である。氏から、『現代インド経済』の英訳とケンブリッジ大学出版会からの出版を託された私は、その実現によって氏の期待とインドの期待に応えるつもりである。 [みずしま つかさ/東京大学教授]