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  • PR誌『評論』203号:三行半研究余滴17 三くだり半の再婚許可文言──禁止・制限条項をめぐって 三行半研究余滴 17 三くだり半の再婚許可文言──禁止・制限条項をめぐって

三行半研究余滴17 三くだり半の再婚許可文言──禁止・制限条項をめぐって 三行半研究余滴 17 三くだり半の再婚許可文言──禁止・制限条項をめぐって

高木 侃

三くだり半(離縁状)本文の内容は、通例離婚したという離婚文言と誰と再婚しても構わないという再婚許可文言からなっている。後者は一般的に「向後何方え縁付候共、構無御座候」と書かれたが、なかには大げさに「日本六十余州の何方え」や「此末隣家へ娵入候共」などというのもみられた。
ところで、離婚した妻に対して、再婚許可文言に禁止もしくは制限を加えたものがみられるので、それを取り上げることとした。いつものように写真と解読文を掲げる。用紙はタテ25.2センチ、ヨコ27.7センチメートルである。
   離縁状之事
一其許勝手ニ付、此度離別いたし候間、
向後ハ何方参り候共此方差構無御座候、
且又我等村内ハ不入様ニ、為後日
一札差出申所、如件
        赤山領安行村
 嘉永弐年酉六月 吉  蔵(爪印)
      藤八新田
        お て つとの
本文の読み下し文はこうである。
そこもと勝手につき、このたび離別いたしそうろう間、向後は何方へまいりそうろうとも、この方差し構えござなくそうろう、かつ又我等村内は入らざるように、後日のため、一札差し出し申す所、くだんのごとし
安行村・藤八新田もともに武州足立郡内で、現埼玉県川口市である。
ここでは夫の住む村内への立ち入りを禁止したものだが、当然村内での再婚をも禁じている。これは夫がその面子のために村内への立ち入りを禁止したもので、夫の居村での再婚を将来にわたって制限したものでもある。
石井良助氏が紹介したものでは「尤飯田村源蔵殿は故障の筋有之候」(『江戸の離婚』日経新書、1965年、78頁)とあって、特定の、ここでは不義の相手との再婚を禁止したものであろう。さらに「善光寺並右近村迄七ケ年間縁留、其外之義は3ケ年間縁留」と特定の場所とともに関連して一定期間これを禁止するものもわずかながらみられる。つまり離婚する妻への禁止(制限)は、人・場所・期間を対象としたのである。
なかでも多いのは、人に関するもので、本余滴⑦では、婿の書いた離縁状には当初「風聞男貰候節ハ故障も可申」と、風聞の男、実は駆け落ちを繰り返した下男との再婚は禁止する旨が書かれていた。妻方では離縁状本紙に不義の様子を記載することだけは避けてほしいと懇願し、別紙にしたためることにして、離縁状の文言からは除かれた事実にふれた。
もう一例、すでに紹介したことがある筆者所蔵文書から引用しよう拙著(『三くだり半と縁切寺』吉川弘文館、2014年、56頁)には写真も掲げた。
「隣家は格別」とあって、隣家との再婚だけは禁止するという離縁状である(縦長に三行半しためている。/は行末である)。
  離縁一札之事
一其元儀仲人有之、当四月下旬縁談取結候処/熟縁致兼候ニ付、此度離縁致候所相違無之、/然上は隣家ハ格別、何方え縁付候共、差障候/儀毛頭無之候、為後日之一札依て如件
 天保十亥年   啓  助 ?
    十二月
     こ と 殿
わずか八か月足らずの結婚期間であったが、ことと隣家の者と不義でもあって、それが離婚の原因であったろうか。また「壱家之儀罷成不申候」と、夫の一族親類との再婚を禁止したものもみられる。
妻の再婚に禁止(制限)を設ける場合があり、ときに妻方からの要望でこれを削除して離縁状を渡す場合があったとはいえ、特定人との再婚を禁止した内容が離縁状に記載され、かつ有効だったということは、それだけ夫の面子が尊ばれたものといえよう。
[たかぎ ただし/専修大学史編集主幹・縁切寺満徳寺資料館名誉館長]