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  • PR誌『評論』202号:三行半研究余滴 16 日付・印鑑なく「如法」に三くだり半

三行半研究余滴 16 日付・印鑑なく「如法」に三くだり半

髙木 侃

作年11月、新たに三くだり半を入手した。かつて余滴⑤に極めて珍しい「舅去り」の三くだり半を紹介した。そのときの経緯といえば、わざわざ自宅まで持参の上、拝見できただけでも嬉しいのに、廉価でおわけいただいた。その中西尚古堂主人からの電話で、「また離縁状が出ました。明日伺うのでご覧ください」という。持参くださったのが左の写真である。離縁状を広げ、今回取り上げる「如法」を指さし、これはどういう意味でしょうかと、質問する。筆者は「女房」の当て字ですよと答えた。主人は古文書も読め、その位は御存じのはずだが、不知を装い、なるほどといった態でうなずき、お読みいただけたし、意味も解ったので、よかったらお譲りしますよと、またまた「超廉価(相場の一割程の値)」で、譲っていただいた。 その離縁状の写真(左頁)と釈文(解読文)を掲げる。大きさはタテ25.5、ヨコ23.5センチである。    離別状之事 一此みつと申女私シ如法ニ御座候得共、 此度離縁致候上は、何方え縁付 候共、構無御座候、為後日之 仍て如件          孫  七     おみつとの 本文の読み下し文は次の通り。 この「みつ」と申す女、私の女房にござ候えども、この度離縁致し候うえは、何方へ縁付候とも、構えござなく候、後日のためよって件の如し 女房に「如法」のような極端な当て字にはお目にかかったことはないが、離縁状には時折、当て字も散見される。ここでは別れに相応しい「会者定離」をみよう。会者の「会」の当て字には、「絵」や「縁」、定離には「常離」が当てられる。「常に離れる」方が離婚にぴったりの庶民感覚であろう。「会者定離」を用いた名文の離縁状を紹介しよう。表題はない(上州〔群馬県〕利根郡のもの)。 一皆老同血之契既にたえ、会者 定離の浮世、愛別離苦の習ひ 今更不有可驚、よって離状如件   天保十三寅三月         摺淵村          蔦 吉   同村佐兵衛        志ち殿 「偕老同穴」の皆と血はともに当て字であるが、「会者定離の浮世」 「愛別離苦の習ひ」とあって、その博識がうかがえる。かなり学識ある僧侶・名主などの代筆になるものであろう。 この離縁状には日付と印鑑がない。千通での統計から実例をみよう。余滴⑭で紹介した離縁状には、「天明五巳年五月日」のように、年号と干支があり、それに月日が書かれていた。これが最も丁寧であるが、実例の74パーセントにも年号と月日もしくは月が記されている。次いで「午正月」のように月日に干支のあるもの14パーセント。月日・月のみは6パーセント、たんに「年号月日・月日」と、文字のみ記したもの1パーセント弱、そしてここに紹介した離縁状のように全く日付の記載のないものも5パーセントある。 印鑑についてもみておこう。筆者がみた22種の、徳川時代の用文章(証文雛形集)で、差出人の印鑑を必要としたものは二例しかない。しかも『増補 手紙早便利大全』(弘化二年刊)のように、差出人の下に「判は押さざるなり」とわざわざ注記したものもみられた。 そうはいうものの、徳川時代の慣習を伝える『全国民事慣例類集』には、「自書押印」「自書爪印」や夫の「一判」を用いることが報告されている。 実例をみると印章もしくは爪印を押すのが一般的であったことは、印章を用いたものが一番多くて約40パーセント、ついで爪印が約34パーセント、捺印のないものがちょうど20パーセント、以下、花押4パーセント、拇印2パーセントの順となっている。 日付なく印鑑もない離縁状(離縁状としては有効)は全体の1パーセントしかなく、珍しいものといえよう。 [たかぎ ただし/元専修大学教授・縁切寺満徳寺資料館名誉館長]