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  • PR誌『評論』202号:ガルミッシュ=パルテンキルヘンに魅せられて

ガルミッシュ=パルテンキルヘンに魅せられて

山田 徹雄

私が初めて、ガルミッシュ=パルテンキルヘンを訪れたのは、1975年のことであった。それ以来、ほぼ毎年のように、夏期休暇を彼の地で過ごしてきた。1980年代末までは、目に映る景観や出会う人に変化のない安心感を味わうことができた。世紀転換期以降、変化のダイナミズムを実感するに至った。 EUによる関税線の撤廃以前は、ガルミッシュ近郊をドライブすれば何度も国境検問所を通過し、また、ドイツ最高峰ツークシュッピッツェ山頂に存在したドイツ、オーストリア国境を超えるにはパスポートを必要とした。エーリッヒ・ケストナー『ふたりのロッテ』には、この空間を自由に移動する場面がある。この国境を跨いだ空間をアカデミックな視点から分析したい衝動を抱えてきた。 ドイツ再統一以降、都市を中心とするSバーン網の整備、空港設備の拡充など交通インフラへの投資が、公的資金の投入を梃に実現するさまを、目のあたりにした。バイエルン政府は、観光関連インフラストラクチャー企業への持分参加、観光マーケティング活動の支援、あるいは、EUの地域発展基金との協働などを通じて、観光振興のための基盤整備を積極的に行っている。 このような現地で直感的に与えられえた問題意識が、私の研究経歴と接点を持つに至った。私は、ドイツ資本主義の空間的な構造を分析するために、鉄道ネットワークの線を手がかりにアプローチした『ドイツ資本主義と鉄道』(日本経済評論社、2001年)、連邦のなかに存在する都市空港というネットワークの結節点から都市国家の集合体としてのドイツ資本主義像を模索した『ドイツ資本主義と空港』(日本経済評論社、2009年)に続き、これを面の分析へと広げる『ドイツ資本主義と観光』(日本経済評論社、2015年)を刊行させていただいた。 ドイツ資本主義は、官民一体の地域間競争を内包するという問題意識を、私は持ち続けてきた。観光振興においてもこの仮説が妥当するであろうと、考えた。 これを論証するために、観光インフラストラクチャー企業への州政府、都市による持分参加と監査役派遣による観光基盤の整備を検討することによって、自治体研究において提起されているコンツェルン都市概念に加えて、「コンツェルン州」(KonzernstaatもしくはKonzernland)概念を提起した。 工業の衰退によって都市は新しい経済活動の必要性を求め、観光によって生じる経済成長のために観光の資本化(the capitalization of tourism)を進めた。これによって、オーバーラッピング都市(Overlapping Cities)理論による「多面的価値を持った都市」が観光目的地となった。 パリ、ローマ、ウィーンなどの大都市との比較を踏まえて、ドイツの都市観光をみると、例えばフランス観光におけるパリへの一極集中と多極分散的なドイツの都市観光という対象性が浮かび上がる。 都市観光における短期滞在と対極をなすのが、農村における保養観光である。農村地域の事例として、土地勘のあるガルミッシュ=パルテンキルヘン郡(バイエルン州オーバーバイエルン県)を研究対象に選んだ。 ドイツ連邦共和国において、宿泊観光客規模が最大である州はバイエルン州である。ハイテクの集積するミュンヘン、保守的な農村、山岳地域であるオーバーバイエルン、このようなバイエルン経済の持つ二面性は、バイエルン観光の二面性へと投影されている。すなわち、ミュンヘン、ニュルンベルクなどの多面的な価値を持った都市の観光、ミュンヘンを除いたオーバーバイエルンの田園、山岳風景を目的とする自然景観観光とに。 ガルミッシュ=パルテンキルヘン郡の観光マーケティングは、旧来の自然的な景観のみに焦点を当てているのではない。新たな地域戦略として医療観光をも含めた「健康地域」(Gesundheitsregion)を展望している。観光地域は自然発生的に形成されるのではなく、人為的、戦略的に形成するものであり、それは地域の資本、行政による協働によってのみ果実を得ると考える。 同空間は、隣接するオーストリア、ティロル州の近接地帯との連続性がみられることから、私はこれを「ツークシュピッツェ観光空間」と呼んだ。 拙著において、私が目指していたのは、観光学研究をドイツ経済史研究に位置づけることであり、アカデミックな検証を通じた学問としての観光研究である。 [やまだ てつお/跡見学園女子大学]