読者の皆さんへ

南塚信吾

歴史研究者が今日の問題に対して発言するのは、ちょっと珍しいと思われるかもしれません。しかし、私たち歴史研究者は、今日生じている諸問題について、どう対応すればいいのでしょうか。 私たちは、何をすべきかいろいろと考えました。そして、もちろん街頭に出て行動することも必要でしょうが、やはり歴史研究者としての「本分」に照らして問題を論ずることが必要なのではないかと考えるに至りました。歴史研究者ではない方々が現在の諸問題を歴史的に論じておられるのは、もちろん歓迎すべきことですが、歴史を研究する者が今日の問題をも歴史的に論じなくていいのだろうかと思いました。振り返ってみると、私たちの先輩に当たる歴史研究者たちも、それぞれの時代の現実の問題について、歴史的観点から活発に論じておられたように思うのです。歴史を研究する者は、現状について、単に事実を並べるだけでなく、歴史的な展望の下でその事実を論ずることができるはずです。真の意味での「現在と過去の対話」を行うことができるはずなのです。 歴史を研究している者の「直観」として、現在の安倍政権は、日本だけではなく世界的に見て、一つの歴史的転換期を体現しているのではないかと思われます。歴史を研究する者として、安倍政権の歴史的位置付けをできるだけきちんとやっておきたい、そうすることによって国民の安倍政権に対する見方の幅を広げるのに役立つことができるかもしれない、そう考えました。そのためには安倍政権を、いわゆる「日本史」の中で考えるのではなく、日本をも含めた世界史の中で考える必要があると思うのです。その理由は、座談会の中で明らかにしていくはずです。 では、なぜ座談会の形式をとったのでしょうか。一つには、安倍政権という現実は多面的なので、世界史的に考えるにもいろいろな視角から論ずる必要があるのです。それには座談会がよいと思われます。第二に、安倍政権を後世からじっくり歴史的に研究して、学術論文や学術書として発表するというのでは、「間に合わない」と考えました。私たちは、現在の問題のすべてを学術的に研究していなくても、歴史研究者の「地力」というか「センス」によって、現状を論ずることができるはずなのです。その点でも座談会がよいのです。 はじめは座談会の成果は、ネット上にアップすることを考えていましたが、各方面の意見により、出版を考えるようになりました。活字にするということは、それだけ発言に責任を持つということであり、本にするほどの持続的な努力を示すということであり、ネット上の情報よりも社会に対してより「短期的ではなく」アピールできると考えたからです。 読者の皆さんが私たちと一緒に「座談」に加わってみてくださると幸いです。 [みなみづか しんご/NPO‐IF世界史研究所所長]