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自由民権〈激化〉の時代③ なぜいま『自由民権〈激化〉の時代』なのか

高島 千代

8月30日、有楽町線の永田町駅に降り立った時、今までに見たことのない光景が目の前にあった。それは、これまでにない人の波である。国会側の出口にまわると、出口も人が一杯で、外に出られない状況があった。にもかかわらず警察は、国会議事堂側の出口を閉鎖。15分ほど待って国会図書館側出口から外に出ると、車両の通行規制がされていなかったため、人々は歩道のなかにラッシュアワー並みの状態で詰め込まれていた。後で聞いたところによれば、こうした「規制」と国会へ近づこうとした市民の間で、ひと悶着あり、何人かが逮捕されたとのことだった。 安保関連法案反対の国会包囲デモ──これほど大規模な市民の自発的デモを目の当たりにしてメディアのコメンテーターは口々に、60年安保以来、あるいは戦後初めての現象だと述べていた。しかし、このコメンテーターたち、あるいはデモ参加者のうち、どのくらいの人が、130年前、「自由」「民権」の名の下に、まさに今包囲されようとしている国会を開設しようと奮闘した人々、またその国会で自ら憲法を制定しようとした人々のことを想起しただろうか。私はそのことをどこかで、誰かに聞いてみたい気持ちになった。 現在、私たちが採用している政治システム──それは、実力(武力)独占に基づく近代国家の強大な意思決定権力を前提としており、これを政府(直接的な執行者)が行使する過程を、国民が、基本的人権の立場から統制・監視するという考え方に基づく。その統制・監視の手段がまさに国会であり、憲法である。そして、この立憲制のシステムは、130年前、日本社会に生きる人びとの自発的な選択によって採用されたものであった。 このシステムの根本が揺らぎ、国会もまた十分な統制機能を発揮できていない今、私たちは国会の外から、多数派のデモンストレーションを通じて、それを果たそうとしている。他方、130年前の先人たちもまた、多数派の輿論を形成することによって、立憲制を創出しようとするが、政府は実力でこれを阻止。これに対して自らも実力行使を選択する青年たちが現れる。それは間違いなく苦悩に満ちた選択だった。彼ら・彼女らはなぜ、そこまでしなければならなかったのか。 昨年10月に刊行した『自由民権〈激化〉の時代』は、まさにこの点を問うことに、一つの目的があった。自由民権運動や激化事件の実態や意義、日本の立憲制創出に普通の人びとが果たした役割、その思想と行動、限界については、まだ不明な点が多い。それは「ブルジョア民主主義」、あるいは「民衆運動」・「民権運動」という分析概念で議論する従来の研究史の枠には止まらないものであり、また「国民国家論」は、国民国家を創出する主体の問題自体を見落としている。 確かにいったん成立したシステムは、その創出主体をも組み込んでいく。私たちは生まれた時から国家の中で生きており、その中で与えられた役割を果たそうとしがちだ。しかし、今まさに眼前で進行しているように、立憲制国家といえども、選挙で選ばれた多数派が、議席の数を力に国民の過半数の意思に反する政策を実施することは可能である。それを是正するのは国民の意思以外に存在しないのであり、国民はそのつど、議会制度におけるルーティンな投票行動を担うという役割をこえて、自ら異議申立をすることになる。その際に必要になるのが、「国家は私たちが創出するものだ」という感覚であり、それに基づき国家権力を統制する主体である。 そうした感覚・「政治文化」が、とりわけ日本社会で教育を受けてきた私たちには欠如している。しかし実は、130年前の先人たちは、「民衆」であれ「民権派」であれ、そうした感覚を豊かにもっていた。かれらは自らの頭で答えを探し、めざす政治体制・国家体制を、成立したばかりの国家権力(武力)に抗して、文字通り必死に創り出そうとしたのである。今、国会を包囲する私たち・若者たちも、自分の頭で考え、自分の言葉で話し始めている。色川大吉氏のいう「自由民権運動の地下水」が今、また噴き出しはじめたのだろうか。だとすれば本書は、その原点を再確認し、その可能性や限界に学ぶ、一つの機会を提供できる。筆者の一人として、そのことを期待したい。 [たかしま ちよ/関西学院大学教授]