蘇る三六年前の〝衝撃〟

龍井 葉二

再刊された『原子力帝国』を編集部から手渡された時、思わずアッと小さな叫び声を上げてしまった。 本書の最初の翻訳が刊行された1979年秋、ある雑誌に紹介文を寄せていたのを思い出したからだ。 この年の4月、私は、労働組合の総評の下で発行されていた通信誌『労働ニュース』にアルバイトとしての職を得る。入社の数日前に起きたのが、米国・スリーマイル島原発事故だった。 私は初仕事の大きな柱の一つとして、各地の原発反対運動を追いかけることになる。 福井県のある漁協を取材した時の話である。当初は原発設置に反対していたが、関西電力の資金工作で半数近くの漁民たちが切り崩され、代々培われてきた共同体の中に、深い亀裂が走る。 「大阪に電気を送るために、なんで俺たちが引き裂かれなければならないんだ。」ある漁師は、苦渋の表情で呟いた。 他方で表面化してきた、原発内で働き、放射線障害に見舞われた多くの被曝労働者たち。彼らは、原発稼働の日常的な営みのなかで、日々、不可避的に生み出されている存在に他ならない。 そうした人たちの声を聞くにつけ、原発問題というのは、「もしも事故が起きたら」という問題にはとても収斂し切れないのではないか──。そんな思いを抱き始めた時に出版されたのが、本書『原子力帝国』だった。そこで示された視点は、原発問題に深く関わってきたはずの人たちにとっても、まさしく〝衝撃〟の書であった。 前述の私の紹介文は、『月刊総評』(79年11月号)の「本の紹介」欄に掲載されたものだが、まず、スリーマイル島原発事故以降のあれこれの動きに触れたあと、エネルギー危機キャンペーンの虚構性の暴露だけでは決定的に不充分であり、理念としてのエコロジー運動を対置しても原発推進派に対する打撃にはならないと指摘。「原発問題を……社会全体のエネルギー技術体系と、個々人の生き方=生活の質を媒介する社会=政治制度の問題として提起することが極めて大きな意義をもってきている」と強調している。 その上で、本書について、類例のない「原子力が社会や政治にもたらす影響の研究」であることを紹介し、その特徴を、エイモリー・ロビンスがエネルギーのあり方として示したハード・パス(硬直した道)とソフト・パス(柔軟な道)という概念を社会=政治制度に適用し、原子力の拡大が「民主主義的な権利や自由が少しずつ堀りくずされる」道であり、「新しい専制政治を阻止する」闘いは、「自由のための闘争」であり、「信頼と連帯にもとづく人間関係を守りぬく闘争である」という著者ユンクのメッセージを引用している。 本書を読んだ後、私の原発問題に対する関心は、すでに予兆として感じていた、過疎地における原発や廃棄物処分場の立地問題、被曝労働問題、そしてウラン採掘地なども含めた「社会的汚染」ともいうべき問題により強く注がれるようになり、原発という存在が、一部の地域住民や労働者の犠牲を前提とした壮大な「差別構造」として認識するようになっていったのである。 その後、1985年にソ連・チェルノブイリ原発事故が起きた際、ユンクの視点をふまえて私が予感したのは、ソ連という「帝国」そのものの減退であった。なぜなら、原発事故の深刻さは、帝国による情報独占を許さず(グラズノズチ)、それは直ちに帝国の権力基盤を揺るがすからである。 しかし、わが国内の反原発運動は、規模の点では大きく盛り上がったものの、人々の関心は「危険な話」──それ自体は自明のことだが──に集中し、極端な場合は、原発で生み出された電気を使う/使わないといった「道徳話」に陥っていく始末で、せっかく芽生えていた社会=政治問題としての原発問題は後景に退いていったといえるだろう。 そして、あの福島原発事故を経た今日、「脱原発」の広がりに抗して強行されつつある再稼働は、特定秘密保護法制定と並行して進められ、安保法案による新たな緊張関係の下で原発が攻撃の対象にされるという「想定」だけでも、「新しい専制政治」を必然のものとすることになるだろう。留処もないハード・パス。 本書の36年前の〝衝撃〟は、今日において、よりリアリティを増しているのである。 因みに、私の紹介文に当時の編集担当がつけてくれたタイトルはこうだった──「反原発は〝自由〟へのたたかい」。 [たつい ようじ/元連合総研副所長]