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ミシンのなかの戦後史──「戦後日本」の問い方

大門 正克

2011年にNHKで放送された連続テレビ小説「カーネーション」とアンドルー・ゴードン『ミシンと日本の近代』(みすず書房、2013年)を重ねると、ミシンの風景がひろがる。
「カーネーション」の印象的なシーンには、必ずといっていいほどミシンが登場した。尾野真千子演じる糸子は、足踏みミシンの音で生活のリズムを刻むように、戦前から戦後に至るまで、時代を超えて足踏みミシンを踏んでいた。ミシンは生活の糧であるとともに、女性たちの自立の夢を運ぶ道具であり、家庭用ミシンが普及すると家族を創る手立てにもなった。
ミシンに驚いたことがあった。生活保護の文献を読んでいたときのことである。1956年、厚生省が生活保護の「適正化」調査を実施したとき、リストにミシンが加えられていた。在日朝鮮人をもっぱら対象にした「適正化」では、ミシンは生活保護にふさわしくないものとされ、所持が厳しく問われた。戦後に外国人にさせられ、安定した仕事を得ることが難しかった在日朝鮮人は、女性たちが針仕事で生活を成り立たせることが少なくなかった。そうした女性や家族にとって、ミシンは生活維持の欠かせない道具だった。
「適正化」の資産調査では、筆頭にミシンがあげられており、ミシンを活用して収入を得ている場合には、収入を認定して生活保護の支給を制限し、ほとんど使用していない場合には売却させてその収入を認定するというように、いずれの場合にも、在日朝鮮人は生存の淵に厳しく追いつめられることになったのである(小川政亮『家族・国籍・社会保障』勁草書房、1964年)。
「カーネーション」のミシンと「適正化」のなかのミシンは、「戦後日本」の問い方に対する問題提起であるといっていい。前者のミシンだけで戦後史を描くのか、後者を含めるのか、このどちらかで「戦後日本」の問い方が大きく変わるからである。ミシンを題材にしたふたつの問いは、戦後70年にあたって問われているふたつの問いと言い換えることができる。
戦後70年で問われていることのひとつは、いうまでもなく、日米軍事同盟を強化して集団的自衛権を拡大解釈することで、「戦後日本」の平和主義が大きく揺さぶられていることである。総力戦による多大な被害と犠牲のはてに、平和主義を掲げる日本国憲法が制定された。だが、「戦後日本」では、日米軍事同盟を強化することで平和主義を換骨脱胎する道が一貫して強められてきた。ここからは、総力戦―空襲―日本国憲法―日米関係を軸にした戦後史が描かれる。「カーネーション」もこの歴史のなかにあり、「戦後日本」の平和主義をどう守るのか、そこが大きな焦点になっている。
ただし、この歴史からは、「適正化」のなかのミシンは見えにくい。在日朝鮮人を含めて「戦後日本」を考えようとすれば、大日本帝国の膨張と崩壊―アメリカによる東アジア支配と冷戦のなかで「戦後日本」を考える必要がでてくる。東アジアのなかの戦後史が問われているのであり、平和主義についても朝鮮戦争やベトナム戦争とのかかわりが問題になる。これがふたつ目の問いである。
日米軍事同盟を強化して集団的自衛権を容認する道に抗するとともに、戦後史を東アジアのなかに位置づけ直し、「戦後日本」の問い方自身を鍛え直す。戦後七〇年にあたって私たちが問われているのは、このふたつの問いに同時にこたえることであり、この点が喫緊の課題だと私は思っている。
「戦後日本」の問い方を鍛え直すうえで、ミシンは象徴的な存在である。家庭用のミシンは、1970・80年代ころまで各家庭にあった。私の実家にも足踏みや電動式のミシンがあった。ミシンと聞いたときにどのミシンを思い出すのか、各家庭にあったミシンなのか、それとも在日朝鮮人の女性たちが使ったミシンも視野におさめるのか、そのどちらかで「戦後日本」の描かれ方は大きく変わってくるだろう。
東京港区の在日韓人歴史資料館には、使いこまれたミシンが展示されている(同館編『写真で見る在日コリアンの歴史』明石書店、2008年、も参照)。また、東京大田区にある昭和のくらし博物館がまとめた『在日のくらし』(2009年)では、戦前・戦後にかけて、在日朝鮮人の女性たちがためたお金や月賦でミシンを購入し、生計を支えた暮らしぶりが紹介されている。
戦後70年にあたり、「戦後日本」の問い方が大きく問われているのである。
[おおかど まさかつ/横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授]