神保町の窓から(抄)

▼15年前に中途採用で入社してきたK女が先頃定年を迎えた。この社始まって以来、初めての任期満了者である。若僧の社長は、年長者の採用が恐かったのだろうか。社員も坊ちゃんやお嬢ちゃんばかりが迎えられてきた。そのくせ社長が社員に意見している姿など、だれも見たことはない。社長が叱られたり、要求書を突きつけられたりしている風景の方が多かった。「酒気帯び出社はやめてください」「差別用語に気をつけて」「早く帰って栄養あるものを食べてください。体は社長一人のものじゃないんですよ。社員の暮らしがかかってるんですからね」。尤もなことばかりでした。そんな発言の急先鋒だったK女であった。94年頃、戦後復興期の官庁資料を「資料集」にすべく、総掛かりで取り組んでいた時期があった。その頃仙花紙(くず紙をすき返して作った粗悪な洋紙)にガリ版で印刷された役所文書をコピーするアルバイトとして入ってきたのである。K女は三人の子どもを立派に育てあげていたが、まだ元気もあり華やいだ雰囲気を持っていた。その7万枚を越すコピーが終わったとき「もっと居続けてもいいですか」というのだ。もう半年も経っていた。遅刻もなし、サボリもなし、笑顔もよし、音声明瞭、断る理由は何もなかった。以来、昨日までずっと一緒に仕事をすることになった。営業の事務、荷造り、郵便出し、請求書、お茶汲み、何でもした。仕事に乱暴の気は少しあったけれど、ミスも少なく、あったときには赤い舌をペロッと出して悪びれない。ある時期には15巻もある資料集を作ったこともあった。わが社の給料は決して高くはない。高くはないが、「こんな安っぽい会社には居られない」とは一度も口にしたことはなかった。定年日に近いある夜、二人で飲みにいった。カウンターに並んで腰掛け、来し方を回顧した。K「縁て不思議ですね」「何が……」「ここにはほんの腰掛けのつもりで来たのに、今日も、明日もと居続けているうち、こんなに長くなってしまって……」「それが不思議なのか」「いいえ、人は一緒に働かないと好きになれないことを知ったのです。この会社の人、みんな好きになりました」「老後はどうするんだい」「いやですねえ。私はまだ老後だなんて思ってもいませんよ」「ごめん、ごめん」。だが、会社の規程は非情である。何歳になった誕生日月にピタッとやめてもらう、と書いてあるのだ。永年勤め続けた、ということは、社の内にあっても、外に向かっても信頼を勝ちとってきた証なのだ。もったいない、とはこういうことを言うのだろうが、Kさん、聞きわけてくれ、歴史は継承・発展させねばならんで。芝居や花見のときにまた会いましょう。ご健康と長寿を祈っております。ありがとうございました。▼電子機器の発達によって、かつてハガキで届けられていた「読者の声」は、メールやFAXで届けられるようになった。ハガキ時代よりやや増えているかも知れない。飲み屋で「読者の声」を聞くこともある。「あんたんちの本は高いねえ」などと目くじらをたてられることもある。何を言ってんの、高そうな酒を飲みながら文句を言われる心算はない。しかし、わが社のように700部から1500部ほどしか初版を刷れない少量出版の本は、市場での相対的価格が高く見えても、決して不当な価格ではない。また大きな利潤を求めてつけられた価格でもない。原価にほんのささやかな付加価値をつけた最低価格であるといってもよい。少量出版の宿命のようなものである。ホントです。少量出版とは何か。別の言い方をすれば、少数者の意見、あるいは少数の論理を採用する出版といえる。市場経済からいえば、需用のすくない少数意見は嫌われる。だが、需用のすくないということは内容の貧困とは同義語ではない。価値が低いとは言ってほしくない。多様な意見があっていいはずである。それが民主主義の基本だろう。少数者の意見を表現しようとするわれわれは、暮らし向きは貧しいけれど、もっと胸を張ってくれないか。貧しいから声も小さい、というのは分相応に思えるが、それでは夜を削って本作りに精をだすあなた自身がわびしくなってしまうだろう。基本的に出版という業は資本主義に似合わない。百年に一遍の不況だという。どなたですか、そんなめでたいことを言っているのは。小零細出版は何十年も前からいつも「今日が正念場」だったのだ。その連続だったのだ。不振や不安との長い闘いの経験を持っている。だから、われわれはこの不況にもたじろがない。だからこそ、われわれの本当の出番ではないのか。「企画が悪い」「営業力がない」などという可視的な問題を越えて、本は売れていないという事実はある。そういう状況であるからこそ、まさに少数者の意見が重視され発信し続けられねばならない。資本主義に似合わないとはいえ、少数意見を見殺しにしてはならない。不況であればこそわれわれ小出版の役割はいっそう重い。そう思うと退くわけにはいかない。だから頑張る。