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近代公娼制度研究から見えてくるもの

人見 佐知子

性売買はどのようにして成立し、存続してきたのか。その歴史的条件を明らかにすること、それがわたしの一貫した問題関心である。今回刊行した『近代公娼制度の社会史的研究』は、2006年に提出した博士論文の一部と、その後に発表した論文に、大幅な加筆・修正をくわえてまとめたものである。以下に、本書におさめた論文(のすべてではないが一部)について、わたしの研究履歴を振り返りながら本書の内容紹介としたい。
近代公娼制度の成立は、明治5年(1872)のいわゆる芸娼妓解放令を画期とする。最初わたしは、芸娼妓解放令の成立過程について、政府がそれをどのように構想し、それが近代公娼制度のあり方をどのように規定したかを検討しようとした。しかし、これがなかなかうまくいかない。おもな原因は、それを明らかにするための十分な史料を見つけることができなかったというわたしの力不足にあったが、史料を読みすすめるうちに関心が推移していったことも関係した。
芸娼妓解放令後、政府は性売買を直接統制することを是とせず、府県に委任することを基本的方針とした。それならば、府県での芸娼妓解放令の実施過程をみていくことが、近代公娼制度の成立過程の解明に重要な意味をもつのではないか。そう考えたわたしは、兵庫県を分析の対象としてこの問題に取り組むこととした。
兵庫県を対象としたのは、神戸大学大学院で学んでいたわたしにとって、史料調査上の便宜があったことを否定しないが、しかし兵庫県の芸娼妓解放令は他地域に比較して非常に興味深い内容をもっていた。すなわち、一般的に芸娼妓解放令後の性売買統制は「明許・集娼」(場所を限定して公認する)を採用したといわれているが、兵庫県(神戸)では、「明許・散娼」(場所を限定せず公認する)ともいうべき性売買統制が実施されていたのである。ここから、芸娼妓解放令の可能性とその歴史的な意味を考えたのが近代公娼制度研究についてのわたしの最初の論文で、本書の第三章におさめた。
他方、近代公娼制度研究は、その制度自体あるいはその制度の廃止を求める廃娼運動に関心が偏っており、実態分析という点については立ち後れていると云わざるをえない状況にあった。そうしたなか、「遊廓社会」研究会への参加は、わたしにとって転機となった。政策としての性売買統制の変化と、それが地域社会になにをもたらし、近世の公娼制度のあり方をどのように変えたのか。この問題に「遊廓社会」論の視点と方法に学びつつ取り組んだのが、本書の第一章、第二章である。芸娼妓解放令は、それ以前に展開していた遊廓社会のありかたに規定されて、各府県に多様かつ独自の性売買システムを生み出した。その過程を丹念に追うことで、性売買は近代社会にどのように構造化されたのかを明らかにしようとした。
以上の制度と実態の変容は、芸娼妓自身にとってどのような意味をもったのか。第一章でみたような芸娼妓「解放」の実態や第四章でみたような芸娼妓の法的位置づけの変化から本書が指摘したのは、廃娼運動の歴史的前提としての芸娼妓自身の「経験」である。経験の深さを測ること、あるいは芸娼妓自身の経験は社会にとってどのような意味をもったのか、近代公娼制度の特質を考えるうえで重要なこれらの問いは、のこされた課題である。芸娼妓の経験にとってもっとも重大なのは、日々性の売買を強いられていたという基本的な事実である。その意味で、性を買う男性遊客の経験もまた明らかにされなければならない。しかしながらこれもまた、のこされた課題である。
歴史学の成果を無視した、そして芸娼妓への共感を欠いた発言を耳にし、書かれたものを目にするとき、地味な歴史研究のみにしか拠り所がないことに無力さを感じざるを得ない。しかし、歴史研究は、名も無き娼妓の生の痕跡に光をあてることで、たしかにそこにひとりの人間が存在したことを証明することができる。そここそを譲れない立脚点としてこだわり続けていくしかないこともまた、確信しているのである。
[ひとみ さちこ/岐阜大学地域科学部助教]