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眞・善・美に憧れた不運な財界人、渋沢敬三

由井 常彦

渋沢敬三は、渋沢栄一の嫡孫に生まれ、東大に学びロンドンでの長期滞在を体験し、第一銀行常務取締役から日銀副総裁・総裁・大蔵大臣を歴任した。戦後財界の代表的存在であり、かつ民俗学、漁業史など文化人として自身学究でかつ多大の貢献をした。
こうした輝かしい経歴をみると、それこそ稀にみる恵まれた生涯と思いたくなる。現に私の学生時代には財界の人々からはもとより、親友の土屋喬雄(東大教授、経済史の大家)はじめ渋沢敬三が設立した常民文化研究所から輩出した学究たちから尊崇され、〝貴人〟の趣きがあった。にも拘らず、晩年(といっても60才代)の渋沢敬三は、瀟洒な服装の財界人タイプとはほど遠く、といって個性的な雰囲気の文化人タイプでもなかった、古ぼけた背広姿で、庶民的かつ柔和でおられたが、どこか世捨人を感じさせるところがあった。私には長い間謎の多い〝偉人〟であった。
今回渋沢敬三研究にたずさわり、史料をあさっているうちに、晩年の渋沢敬三が自身について話す段になるといつも「私は眞なるもの、美なるものに憧れましてね」と言っていることに気がついた。この言葉は、複雑で多様な彼の人物を知る上で、一つのキイワードと思われる。
「眞善美」の追求は、人格主義を骨子とした戦前の高校・大学教育でしばしば用いられた、究極的な人間の価値を表現する新カント派の哲学用語である。他の学生とちがい、出世願望が稀薄でナイーブな青年渋沢敬三にとって、この言葉こそ心の底に深く刻まれたことであろう。
敬三は、「生物少年」といわれたほど魚や昆虫の観察そして科学に興味をもち、高等師範学校付属中学卒業に際しては、蜂蟻の生態についての論文を発表しており、生来理系の学者志望であった。仙台の二高時代は、祖父に説得されて文科に在籍したが、ひとり生物学の研究を続け、東北の僻地を旅しているうちに、奥深い農村の生活や文化に心をひかれた。それらの古い伝統的なものの科学的研究は、彼にとって「眞」なるものの探究にほかならなかったであろう。
東大では設立当時の経済学部に進学し、当時活発化したマルクス主義の洗礼をうけた。マルクス経済学は科学的社会主義を標榜したから、敬三の関心をひいた。二高からの友人の土屋喬雄とともに実証主義の経済史ゼミに参加、工業の発展段階研究をテーマとし、関東の織物業についてフィールドサーベイを試みている。
ついで四年間のイギリス生活においては、英仏独伊の諸国の博物館・美術館を歴訪し、歴史的なヨーロッパ文化に触れ、圧倒された。とくに絵画はじめ美術品に心の底から魅了され、美なるものの奥深い価値に開眼した。もっとも留学によっても、唯心論(ヘーゲル)か唯物論(マルクス)かの解答はついに得られず、彼は自分自身を懐疑主義者と規定するようになっている。
ところで昭和初年に第一銀行に勤めてからの渋沢敬三は、前半生と違って、環境にも運命にも恵まれなかった。銀行の業務については、習得するのに困難を感じなかったが、恐慌が相つぐ時代のせいもあって、心に深くうったえる興味や刺激に乏しかった。はるかに年長の周囲との人間関係もわずらわしいものであった。さらに家督を相続した渋沢家の内部では、廃嫡された実父の処遇など深刻な葛藤に悩まされた。こうしたなかで彼は、邸内に常民文化研究所を設立した。
祖父の死後敬三は、第一銀行常務の銀行家として昼は業務に精励する他方、早朝や週末の余暇はあげて学究者かつ支援者として、文化的な仕事に没頭するようになった。だが、昭和の変動期において両方を満足させる時期は長く続かなかった。太平洋戦争が始まると(彼は「売家を唐様とかく三代目」と自嘲している)、にわかに敬三は、財界の若手ホープとして期待されるようになった。内外の金融事情と銀行業務に通じ、かつ文化人で、渋沢二世たることが仇となったのである。ときの東条首相から日銀総裁たることを強要された彼は、「東条に強姦された」と回顧している。
渋沢敬三が戦中・戦後の政財界のトップの柵から解放されたのは十年以上たった昭和二七年のことである。その後の晩年になって冒頭に記したように眞なるものと美なるものに憧れた自身を回顧するようになった。ここでは、「善」が抜けている。祖父栄一の明治時代と違って、昭和の動乱期には何が善で何が悪かは彼の判断をこえるものであったろう。
[ゆい つねひこ/明治大学名誉教授、公益財団法人三井文庫 常務理事・文庫長]

『評論』戦後70年特集号
小誌は2015年7月号をもちまして1972年12月の創刊以来200号を数えます。しかも今年は戦後70年にあたり、またご案内のように内外の情勢は激動の秋を迎えております。はたしてどの方角にすすめばよいのか、また何をなすべきなのか極めて大きな課題を背負うことになりました。
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