神保町の窓から(抄)

▼高等学校時代の体験なので、相当前のことになる。カストロの指揮するキューバの革命軍がバチスタ政権を打倒した直後だった。正月の夜、炬燵に足を突っ込んで親父を交えて話をしていた。兄貴も姉ちゃんもいたはずだ。親父は万世一系の百姓で、体制や政治には、あまり敏感に反応しない質だった。その親父がカストロのことを指して言ったのだと思うが、「ああいう男は、いずれはやっつけられてしまうだろう」というのだ。子どもたちにむかって「世間に歯向かうような奴になるな」と言いたかったのだろうが、愚鈍な子どもたちでも、(たぶん)世界中が喝采しているだろうカストロの栄光に、何てことを言うんだろうと思った。子どもたちが、小さくそのことを言うと、親父は、この村に伝えられてきた話を始めたのだ。それは秩父事件にまつわることだった。  その当時から数えれば、秩父事件は75年ほど前の騒ぎである。わが村は秩父からさほど遠くない群馬の南端に位置している養蚕地帯である。詳しいことは語り伝えられていないのだが、この村からも秩父事件に参加した百姓が数名いたという。この百姓たちの末裔は同級生にもいた。成績もよくケンカも強い奴等だった。同級生は彼等に一目置いていたが、何か陰のある連中だった。親父の頭にはその一族のことがあったのだ。「あんなぶっ壊し屋になってはなんねえ」。この村では秩父事件に命を賭した先進を「ぶっ壊し屋」と言って敬遠しつづけていたのだ。あれ以来75年も経つというのに、その末は肩身の狭い思いで暮らしていたのだ。暗い陰はそのせいだと気づいたのはその時だった。革命家、あるいは時代を変革しようと実力行動に出た者たちの敗北は冷ややかに言い伝えられるしかなかったのだ。親父の言葉に、当時は有効に反論できなかったが、なぜか、少年の日のこの炬燵談義は長じてもなお胸の底に澱みつづけていた。 ▼高島千代さんと田﨑公司さんを中心に十数名の研究者・活動家で編んだ『自由民権〈激化〉の時代 』と名付けられた大著が出来た。「激化」とは不穏な響きがして最適とは思われない用語だが、明治政府の横暴な国づくりに対して、異をとなえる人民の言われなき憤懣が込められているようで敢えて採用した。  明治15年から18年ごろにかけて、各地で起こされた激化事件。福島事件、高田事件、群馬事件、加波山事件、秩父事件。軍隊まで出動した秩父事件を越えてもなお、名古屋、飯田、大阪事件と続いていく。欽定憲法発布前の、灼熱の時代の諸事件である。今度の本が諸事件の本質にどこまで迫れたかは、各位の読後に俟つしかないが、時代と闘った人々が「ぶっ壊し屋」などと言われる誤解を解くために役立つことを祈っている。自慢は150頁におよぶ激化年表。これは後世にのこる仕事になろう。できうれば、逼塞感に覆われて出口を探しつづける青少年諸君に読んでもらえたら、執筆者の苦労は浮かばれるだろう。 ▼著作権法が改訂されて、2015年1月1日から施行されることになった。出版各団体が頭を痛めつづけてこのほど合意となった。改訂の要諦は「電子出版」の権利についてである。条文は回りくどい言い方をしているが、紙に印刷された本を作ったと同時に「公衆送信」という電子出版の権利を(出版社が)得ておこうということである。紙に刷られたものの権利だけを持っていても、電子本は他社が出せることになるからである。紙の本と電子本が別々の出版社から発売される場合も出てくる。これでは困るというのが、出版社の主張である。  著者の側からみた場合、紙の本はA社で出すが、電子本はB社で出せるということになる。今回の改訂にあたり小社がとろうとしている態度は、紙の本も電子の本も私どもに出版販売の権利をください、というものである。これから刊行される本にはこの要件を組み入れた「出版契約書」をとり交わしたいと思う。年内から実践するつもりである。  それでは、既に紙で出してしまった本、私どもが抱えている「在庫本」についてはどうするか。今は紙の本にしか出版権がないので、あらためて「電子本」についても権利をいただきたい、というお願いをしなくてはならない。これについても年内に「著作権改訂に伴う新出版契約書」なる文書をお送りしますので著作者各位の理解ある対応をお願いする次第です。お手数をおかけします。  少部数・高定価の専門書が電子本に食い荒らされるなんて想像もしていなかったが、世間の進歩(?)は甘くない。本の近未来がどうなるか、明確に描けないが右のような手続きを践んでおかないと、ある朝気がついたら、わが社の本がすべてアマゾンや楽天で発売されていたということになりかねない。本は紙でなければ本じゃない、なんて吠えたって誰も褒めてくれる時代ではない。電子は好き嫌いに関係なく我らをむしばんでいく。 (吟)