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  • PR誌『評論』197号:三行半研究余滴12  おしどり夫婦の三くだり半

三行半研究余滴12  おしどり夫婦の三くだり半

高木 侃

今回は離縁状の地域性にふれてみたい。まず離婚にあたって離縁状の授受が必要であったのは、幕府法上のことで、幕府直轄領はもちろん、譜代・親藩などの多くはこれを採用したが、離縁状の授受を必要としなかった藩やこれに代わる手続き(人別送りの返戻)によった地方もあった。外様の大藩の領地で、四国全域、中国・九州地方のかなりの地域、それに東北・北陸の一部である。これが一番大きな地域性といえる。 ついで事書(表題)の違いが、広領域にわたる地域性である。離縁状・離別状・去状は全国にみられるが、暇状・隙状は主に関西地方、手間状は中部山岳地帯周辺、縁切状は下野国(栃木県)から六通、河内・塩谷・芳賀郡内から見出しているが、現宇都宮市・塩谷町・市貝町で、県中央部である。用語としての「縁切り」はかなり強い語調である。これは下野国の風土性、今日の、いわゆる県民性のあらわれといえようか。 もう少し狭い三県位にまたがる中領域の地域性もみられる。上野国(群馬県)の縁切寺満徳寺に駆け込んだ女性が離婚時に受理する特殊な文言「深厚之宿縁浅薄之事」で始まる、いわゆる満徳寺離縁状の模倣したもので、これは満徳寺への縁切り駆け込みの影響でもある。 さらに狭い地域での地域性もあり、栃木県内には独特の離縁状表現がみられる。その一つに、夫婦が仲よきことのたとえとされる「鴛鴦」を用いたものを紹介しよう。その離縁状の写真と解読文を掲げる。用紙はタテ24.0、ヨコ32.5センチである。    離別状之事 一鴛鴦深厚て一旦附極  縁談、今更及破縁之条  然上は相互ニ執心少も  無之段仍去状如件         志鳥村  文化四年    祐  助㊞     卯九月       梅沢村         おたけどの 本文の内容はこうである。 いったんは鴛鴦のように、深く厚い気持ちで縁談を決めましたのに、今あらためて破縁いたしました。ですから、今後はお互いに執心少しもなく、ここに去状をお渡しいたします。 決めた「縁談」を「破縁」し、相互に「執心」なきことを誓約しているので、婚約解消のための離縁状と考える。当時は婚約(許婚)解消のときにも離縁状を授受することがあったからである。 志鳥村・梅沢村はともに栃木県那賀郡内の村で、現在の栃木市である。もう一通見出された「鴛鴦」の三くだり半は、同郡西水代村(現栃木市)のもので「鴛鴦之宿縁を結、未た老之自愛薄して離別」とある。この二通には「深厚」や「宿縁」が含まれ、いわゆる満徳寺離縁状の影響がみられる。 「鴛鴦」の文言を用いた三くだり半は、今日の市域か郡域の範囲で限定的に用いられたものと考えられる。その意味では下野国は「縁切状」をはじめ、「鴛鴦」のほかにもいくつかの地域的特徴がある。 足利郡名草村(現足利市)の離縁状にみられる再婚許可文言「明日にも(他え)縁付共、不及一言二念」のなかの用語「明日」である。足利周辺のほか上野国邑楽・新田両郡で用いられたもので、ほかの事例では「不復明日」・「不期明日」・「明日より」などと書かれている。いずれにしても離婚後ただちに再婚できたのであり、現在女性は再婚まで六か月(民法改正要綱案では100日)待たなければならないのとは雲泥の差である。 なお、離縁状後半には、だれと再婚しても「差構無御座候」・「差支無之候」などとしたためられるが、「二念」なしと書くのも足利周辺地域の特徴である。 下野国における離縁状の内容にみる多様性は、同時に地域の文化度の高さをあらわしたものといえよう。 [たかぎ ただし/専修大学史編集主幹・太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長]