保存される建築

竹山清明

2009年3月の大学の同窓会で、東京中央郵便局取り壊し事件のことが話題になった。大学の同窓会とは、工学部建築学科の同学年の集まりである。一学年90人定員で、建設業・設計事務所・官公庁・大学などで働いてきた仲間である。しかし還暦を過ぎ、普通の勤務の場合は当然に定年退職となっているので時間的にゆとりができ、年に数回の集まりがある。取り組みにより10〜40人の参加がある。今回は小さい取り組みで、関西在住の11人が集まった。年齢の面から、議論の中心は当然に健康問題になる。
そのような議論のあと、私が東京中央郵便局取り壊し事件のことを話題に上げた。友人達の多くのそれまでの人生は、高度経済成長期からバブル時代を経てついこの間まで、建物や都市をつぶしては建て、建ててはつぶすという、スクラップ・アンド・ビルド中心の仕事生活をおくってきた。そのような友人達がどのような反応を示すか、興味を持って話題としたのである。
そのようなことを企図した私自身のことを簡単にご説明したい。学校を出てから内部設計を行っていた官庁に勤め、公共建築の設計・監理に明け暮れた。やがて独立して設計事務所を主宰したが、40代に大学にも勤め建築設計の教育や研究に携わることとなり、現在に至っている。
建築専門家としてやや特異なことは30代の頃から、歴史的建築の保存運動に取り組んできたことであろう。阪神淡路大震災(1995年)までの私の主たる活動エリアは神戸であり、神戸旧外国人居留地の近代洋風建築(欧米風の歴史的建築)の保存運動に事務局長として関わってきた。震災後、職場を京都の大学に移したため、その運動からはやや身を引いているが、歴史的建築の保存運動の経験は、私自身の建築観に大きな影響を与えている。
戦後のわが国の建築教育では、アメリカから持ち込まれたモダニズム建築(現在の私たちの周りに多数建設されている工業化製品を多用した四角く無装飾のツルンとした建物)が、今後建設されるべき唯一の正しい建築スタイルであると教育されてきた。私自身も30代直前まではモダニズム建築を信奉し、そのスタイルで新しい建築を建設することのみに興味を持っていた。しかしその後、スクラップ・アンド・ビルドの都市・建築づくりに疑問を持つこととなった。そして歴史的建築の保存運動に積極的に関わってきた。
さて、最初の論点に戻ろう。私の「東京中央郵便局は保存すべきではないか」との提起に対し、ほぼ全員が反対した。「事態が段取りを詰めながら進行しているのに鳩山総務大臣の保存要望発言は唐突で違和感が強い」こと、「郵便局の建物は現代建築と似たスタイルであり、無理をして残す意味が少ないのでは」、というような意見が主流であった。「それでは」と筆者は議論を遮り、「東京駅は市民運動で保存されたが、それについてはどう思うか」という問いを投げかけた。これについてはおおむね全員が「東京駅は歴史的建築として価値があり残すのは当然である」との主旨の意見を述べた。
スクラップ・アンド・ビルドの都市・建築づくりの中心的な担い手であった人たちである。日本でも最も地価が高く高収益が見込める地区であっても、質の高い歴史的建築は保存すべきであるとの発言には少し驚きもし安堵もした。バブルの最中で現役の時代にはこのような発言はなかったかもしれない。しかし現役を離れ自由になったこと、時代が進みスクラップ・アンド・ビルドへの批判が強まっている傾向などが、このような発言を生み出しているのであろう。
東京中央郵便局は、このまま推移すれば、大きな努力で保存運動が継続されているにもかかわらず、かなりの部分が取り壊されてしまう可能性が高い。昭和初期を代表する歴史的・文化的価値の高い建築であるが、簡単な一瞥では、魅力の少ないどこにでもあるモダニズム建築と見間違われる外観であるとも解釈できる。このようなところが、東京駅と異なり保存が困難になっている本当の理由であるとも考えられる。幅広い世論に支えられて保存される建築は、もう少し分かりやすい、文化情報が豊かな建築様式を必要とするのかもしれない。          [たけやま きよあき/京都橘大学]