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  • PR誌『評論』197号:日本人がノーベル経済学賞をもらう日

日本人がノーベル経済学賞をもらう日

永谷 敬三

日本人がノーベル経済学賞をもらうには何をなすべきかについて私見を少々申し述べたいが、何しろ成功例ゼロの状態だから、経験的に過去から学ぶとすれば、いままでとは違うことをやるのがいいということしかいえない。以下は私の全く個人的な感想である。 日本人経済学者がグローバルな論文書き競争に参画したのは戦後である。以来60年、世界に名を知られる日本人学者も何人か出たが、1969年に創設された経済学賞を受賞した人はまだいない。自然科学分野では日本人の受賞は珍しくないのに、なぜ経済学ではそうならないのか。私が思うに、日本人経済学者は、自然科学の同僚に比べ、いくつかのハンディを背負っている。 第一は、自然=神相手のゲームである自然科学が日本人の体質に合っていることだ。神様は人間相手のゲームにおいて、人間を騙そうとか、攪乱しようというような、いわゆるゲーム論的戦略をお用いにならない。人間の打つ「手」に対していつも同じ手で返してくださる。だから神様相手にいろいろな手を打ってその反応を記録していくと、神様に勝つ確率は単調に増加する。これが人を信じ易く人一倍勤勉実直な日本人には向いていると思われる。人間相手のゲームである経済学ではそうはいかない。 第二は、経済学という学問が、時の覇権国の志向によって、覇権国の諸問題を解くという形で発展してきた知的活動だという点である。日本人から見れば、他国が決めたアジェンダに従って研究するというはなはだ居心地の悪い学問だということになる。そこでどうしても学問に対する信念というか、情熱が今一つ足りなくなる。元々日本人は信念の民族ではない。筋金入りの実証主義者でも公理主義者でもない。印象主義者であり、相対主義者である。物事には常に複数の見方があり、それこそが真実だと考える人間だから、壮大な普遍理論を日本人が創り上げることなどありえない。私は、日本には立派な日本経済学があると信じているが、相対主義者の日本人がそれを世界に宣伝することなどありそうもない。 第三は、アメリカ中心の経済学研究態勢において、日本人学者が互角に戦うには相当なハンディを克服しなければならないという事実である。ノーベル賞受賞者のリストは毎年、アメリカ経済学会などの大きな組織の会員の指名が多かった候補者から成るショート・リストをノーベル委員会が作成し、その中から受賞者が選ばれる。投票者の大多数は学者だから、いい弟子を多く持ち、業績の宣伝をやってくれる人脈が太い人が優位に立つ。ショート・リストの中身は秘密のはずだが、口コミで漏れて、候補者の選挙運動が盛大に行われる。世界中の大学を回ってセミナーをやり、普段は傲慢不遜な大学者がとろけるような愛想を誰彼なくふりまいていく。日本にいて顔も知られず、笑顔をつくったこともなく、英語も堪能といえない学者ではショート・リストに入るのは至難の業だ。 以上を要するに、日本人がノーベル経済学賞をもらうのは「時間の問題」だという日本人が多いようだが、そう簡単ではない。日本人が得意とする改良型の業績では不足する。でも、日本人学者の受賞確率を高める戦略はないかといえば、ある。それは、日本経済の運営に参画してメンターとなり、日本経済の隆昌を実現させ、もって世界経済を繁栄に導くことである。古くは、1959年1月、読売新聞に「月給二倍論」を載せて池田内閣の所得倍増政策の生みの親となった中山伊知郎博士、近くは、内閣府経済社会総合研究所長として民主党政権のブレーン役を務めた大阪大学の小野善康教授、アベノミックスのメンター役を務めた浜田宏一イエール大学名誉教授、理論、実証、政策提言等広範な学問的活動に対して今年紫綬褒章を受賞した一橋大学の齊藤誠教授以下、日本の経済政策アドバイザーとして業績を残した経済学者の歴史は長い。この人たちには世界的に通用する学問的業績もある。日本経済学会は、年次総会でも日本経済の現状と将来を論じるセッションを設けていないようだが、この系譜を存続させるためにも、日本経済論をもっと活性化させる努力を望みたい。 [ながたに けいぞう/ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授]